人生初TOEIC

「50になってから英語リベンジ」計画の first step として、本日TOEICの試験を受けてきました。

英語とは直接関係無いのですが、余市に住んでて毎日自宅で仕事していると、外の空気に触れる機会はあまり多くないのですが、多くの若者が真剣に向き合っている姿にちょっと感動。私もこのくらいの歳の頃にもっとしっかりやっておきたかったなぁと思っても後の祭りなんですよね。

今日は体力的にあまり長く書けないので、後日の為にポイントだけメモします。

  • どんな風な試験なのか
  • 一言で言えば、英語を聞いたり読んだりして、瞬間的に選択肢から正解を選ぶという瞬発力が問われる試験です。考えている時間はありません。
  • 構成はこちら http://www.toeic.or.jp/toeic/about/tests/
  • 最初の45分間は、リスニングセクションなので、スピーカーからどんどん問題と選択肢が待ったなしで押し寄せてきます。引っかかったらパスするしかなく、あとでやり直すなんて無理です。でも逆に言えば、流れに乗れれば自分で時間管理する必要が無いので、楽というか安心です。
  • リスニングセクションが終わると、何の合図も無しに、リーディングセクションに入ります。リーディングの間は音声に引っ張られているので、いきなり「後はよろしく!」って放り出される様な感覚を覚えます。
  • リーディングセクションは、自分で時間配分をしなければならないのですが、私の場合は、配分するなんて余裕も無く、ひたすら順番に解いていくしかありませんでした。ただ1問1分とか考えてわからなければパスするようにしました。問題の内容から言って1分も考えてわからないのは何分考えてもわからない可能性が高いと思いました。 Part5は40問あるので、仮に全部1分考えていたら、それだけで40分なので、Part6,7の時間がなくなっちゃいます。
  • Part5は、まだ気持ち的には楽ですが、Part6 になると、あれれ…って感じになってきて、Part7 になると、うぎゃ!っとなります。ただ、Part6,7 は文章が長いので、時間さえあれば回答に辿り着ける可能性は高く、ほんと皆さん仰るように時間との戦いですね。 焦りを減らすという意味では、6,7 を先にやってしまって、残り30分になってから、Part5をやったほうがいいのかなぁなどと思いました。
  • 会場について
    • 今回は北海学園でした。
    • 1時間ほど前についたので、TOEIC会場の案内はあったものの係の人はいませんでした。会場が結構奥の奥って感じで、外のベンチで待っている人がいましたが、受付の場所まで行っておいたほうが良いです。中の方が涼しいし、椅子もあるし水も飲めるしトイレもあるので、あずましいです。1Lの牛乳パックをどかっと置いてiPhoneで勉強している子もいましたが、彼はトイレ大丈夫だったのかなぁ。
    • 北海学園大学は、地下鉄駅からいきなり構内に入れるので便利ですね。
    • 受付時間ぎりぎりに付くより、30分くらい前についてゆっくりしていたほうが良さそうです。
    • そうそう、前の男の子がシャープペン一本だけで、私は「芯がうまく出なくなったらどうするんだろう」とか心配していたのですが、けっこうシャープ一本だけという人が多いようでした。それだけシャープペンの信頼性が上がっているのか、高価なシャープを使っているのか、シャープペンというものが庶民でも使えるようになったのは私が小学生の時なのですが、すぐに詰まったり、やたらと芯が折れたりした記憶が残っていて私はそこまで信じられません。で、透明な筆箱にゴルフとかに使う羽のついたマークシート用の鉛筆と、昔流行ったロケットえんぴつというのを数本入れて使おうと思ったのですが、係の人が来て、「ふでばこはかばんにしまってください」と言われてしまいました。シャープしか出していな人が多いのはそういう事だったのですね。カンニング対策かもしれませんが、自分の脳力を測る試験でカンニングしても誰の得にもならないと思うのですが、ちょっとやりすぎじゃないでしょうかね。筆箱落としたりしたらうるさいとかそっちなのかな。
  • トイレについて
    • 12:30 頃から 15:30 くらいまでトイレ無しで拘束されますので、心配になりますね。最初のリスニングセクションの間は絶対トイレに行かしてもらえないでしょうし、リーディングセクションでも、トイレに行きたい人は挙手してくださいみたいな優しい案内は一切ありませんでした。行けるとは思うんですが、戻ってこれるのかどうか。
    • ただ、会社の会議とかだと3時間ぶっとおしみたいなのもあるので、事前にちゃんとすませておけば大丈夫なレベルです。 それより、どんな試験もそうですが、体調管理の方が大事ですね。GPでは受験は無理でしょうし。
    • 私は朝食カップラーメン、10時30分ごろにおにぎり一つ、あとは、熱中症対策用のドリンクってのが売ってたのでそれをチビチビって感じで、大丈夫でした。
  • 環境について
    • リスニングもばっちり聞こえましたし、変な受験生?も居ないし、とっても良かったです。
    • ただし、大学のあの椅子(ペラペラの板をパタンと倒すタイプ)は、老人には辛いです。リスニングが終わる頃から腰が痛くて、痛くて…
    • あと、クーラー無かったです。外の音が入ってきてもまずいってんで、窓も閉めきっちゃうので暑いのなんのって。夏季の特例としてペットボトルは机の上に出して置いて途中飲んでも良いですって事でしたが、解答用紙汚したら嫌だし、結局飲みませんでした。
  • 何が必要か
    • 人によって違うと思いますが…
    • とにかく語彙力が無ければ話になりません。 この単語の意味は…なんて引っかかってしまったらパスするしかないです。文脈から判断…なんてしてる時間無いです。
    • 次に瞬発力です。英文を見ながら聞いて理解できる程度では歯が立ちません。当然かもしれませんが、聞きながら聞いた順に理解できなければダメですね。読む方も同じで読みながらすっと頭にイメージが作れないとだめでしょう。戻るとか読みなおすとかあり得ないです。
    • 根拠のある自信。無い自信。根拠があったほうが良いですが、焦ったらまったく頭に入ってきませんから、無くても自信は必要です。私はSkypeの英会話のレッスンで毎日講師が問題を出してくれていたので、わからないながらも焦ることなくなんとなく落ち着いていられました。なので、焦らなければ解けたのにぃということは無かったです。逆に言えば実力不足で解けなかったということがはっきりしたとも言える。
    • Skype英会話レッスン。一番の目的はモチベーションの維持ですが、仕事とかで英語を使っている人であればいらないかも。私はたまたま良い先生に出会えたので、平日はほぼ毎日30分レッスンしてもらっています。教材もあるのですが、彼独自のカリキュラムでやってくれるのでおまかせです。TOEICの話しはしていなかったのですが、Youtube とか Mp3 とかを使って、聞いた後に、設問に答えるみたいなのをやってくれるので、TOEICにも役立ちました。フィリピンの学生さんなのですが、人間的にも好きなので、彼が講師を続けている間はレッスンを受けたいなぁ。
    • 英語とは関係ないけど、受験の時は首と腰に湿布貼っておいたほうが良いかも。ただし周りに迷惑なので匂いがしないやつ。
  • 自分が今やっていること
    • Skype英会話
    • iKnow を毎日 (ちょっとずつ)
    • スマホアプリの、エクタンを毎日 (10単語x10セクションだけ)
    • DUO 3.0  ※仕事が忙しくてまだ時間がある時に流し聞きするだけ
    • Duolingo ※ようやく日本語->英語 が出たので試し中だが、I am a boy みたいなところで、スマホ操作でちょっとでも間違えただけで先に行かせてくれいないので、やる気なくなりそう。音声認識の発音チェックもあるのだが、どう発音しても、「The」を認識してくれず、めげてる。 Skype英会話では、「発音は結構良いよ」って言ってもらえてるんだけどなぁ…
  • その他
    • もちろん文法は大事だと思うのですが、まずは単語覚えなきゃってところですね。 ただ、単語だけでもやっぱりダメで、知っている単語が並んでいるだけの文章でも、まったくイメージがわかないものも結構あります。そのあたりは文法を使って読解しつつ、やはり、習うより慣れろの精神というか、多くの文章に触れる必要があるなぁと思いました。その効率を上げるのが、語彙力と文法力ってことになるのかな。

    最後に、いい歳のおっさんが、今更こんな事できるのは、周囲の理解があっての事だと思います。Skype英会話中は妻にはいろいろ迷惑かけているみたいだし、この歳になってこんなことやってるのよって話しても笑う事なく、応援してくれる友人にも恵まれていると思います。私にとって英語というのはコミュニケーションの手段ですから、英語であっても日本語であっても、家族や友人達といろいろな話ができるという事が一番大切なのかもしれないです。いくら英作文ができたって、自分が何を言いたいのかが無ければ意味がありませんからね。 Skypeの英会話でも、「今日見聞きしたニュースで一番印象に残っているのは何?」とか訊かれたりするのですが、仕事が忙しくてまともにニュースも見ていなかったりすると全然答えられなくて、あぁ自分は今つまらない人間になっているなぁとか思ってしまいます。そういう意味では英語を学ぶことを通して、社会の中でちゃんと生きるということを見直すきっかけにもなっているのかもしれません。

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    悪という事について

     先日、必要悪について書いたが、必要であろうと、なかろうと、許されようと、許されざろうと、まず、悪は悪であるという事を考えるべきではないだろうかというのが私の意見。 情状酌量であっても、正当防衛であっても、それが「悪い事」を「悪くない」と言っているわけではなく、「悪いけど仕方ない」というようなニュアンスのものだと思っている。当然ながら、それらは、多くの情報と複雑なプロセスで結論付けられなければならないものであり、到底その判断そのものは法律にはなり得ない。
     そのはずなのに、戦闘という殺人破壊行為という悪がどのような場合には許されるのかという法律を作ろうとしている事は、かなり滑稽に思えるのだが、そんな茶番を演じている政党はともかく、その無意味な前提条件が少し変わったくらいで自分たちの主張が通ったなどとごまかしを言っている某政党の一部幹部たちもまた、とんだピエロだ。日本のトップレベルの教育を受け、日本をリードし、世界の為に尽力することを期待されている人達がいつまでそんな事を続けているつもりなのか、いい加減目を覚ましてもらいたいものだ。

     さて、悪とは何だ、を定義するのは、かなり個人的でありながら、しかし、社会的な共通認識というものがなければならないと思うので、とても難しい。 そして、悪という言葉の意味は広く、(海外の人の考え方を私は知らないのだが)日本では、必ずしも否定的な捉え方をされているわけでは無いという事もまた、話をややこしくしている。 たとえば、「ちょい悪オヤジ」の悪も悪だが、ちょいワルオヤジは「ちょっと格好良い」のであって、「軽微な犯罪を犯したオヤジ」の意味ではない。もちろん「立ち小便をしたオヤジ」でも無い。

     これを世間一般ではどのように定義しているのか実はよくわからいのだが、私は、次の様にシンプルに考えることにしている。

     飲食や経験によってそれを自分の中に取り込んだ時に生じた自分の変化が、好ましいものでない場合、その食べ物や経験は自分にとっては「悪」である。

     食べ物についてはよく、「野菜は体に良い」とか「タバコは体に悪い」などと言って、細かい部分では個人差があるとは思うが、こういう「悪」の判断は日常で使われると思う。一方「その経験は心に良い」とか「心に悪い」という表現はなかなかされないが、本質的には同じではないかと思っている。 今まさに殺すか殺されるかという時点において、仕方なしに相手を殺してしまった場合、それが正当防衛とみなされて罪に問われなかったとしても、どれだけ憎い相手であっても、あるいは戦争において、全く知らず感情を持たない相手であっても、あるいはただボタンを押しただけで発射されたミサイルが多くの人命を奪った場合でも、「人を傷つけた」という経験は、その後の自分の人生において、自分の心に相当なダメージを与えるだろうことは容易に想像できる。

     子どもたちの間で、いや大人の世界でも、いじめという問題がクローズアップされているが、いじめという行為によって心に痛みを持ってしまうのは、いじめを受けた人だけでなく、いじめをしている側も同じで、むしろいじめている側の方が痛みが大きいのではないかとさえ思う。 もっとも じめにもいろいろあって、悪い事だと知っていて、自分でそう判断しているにもかかわらずその行為を行う犯罪行為としてのいじめもあれば、まだいろいろな事が十分に判断が出来ない年齢の子どもたちの間で起きているような、自覚を伴わないものもあるが、最終的にはその経験は、本人にとっては決して忘れ去る事ができるものではなく、長い人生の間でじわじわと心を傷つけていくことになる。 だから大人は、子どもたちがいじめという問題を起こさないように子どもたち自身に判断する力を与えて、そうなりそうな時は未然に防ぐ努力をしなければならないのだと思う。それには、説教だけなく、いじめが起きないムードづくりや、自らの態度を示す事も大事なのであって、いじめ問題について正論を唱えているだけで何もしない大人より、一見おちゃらけていて深い考えを持っていないように見える先生の方が、実は子どもたちのムードを敏感に察して良いムードを作ろうとこころを砕いているのかもしれない。 と、少し話が脱線した。

     この話に結論などないのだが、結局何が言いたいのかと言われそうな気もするので、まとめらしき事を書くとすれば、

     悪かどうかはその行為が何であるかとか、何故そうしたのかという理由でもなく、その行為の結果生じる変化で判断すべきではないだろうか。何が悪で何が悪でないか、どういう理由なら悪でないのかという議論に引きずり込まれてしまっては、正しい判断ができなくなるし、悪意を持った独裁者に良いようにまるめこまれてしまう事になる、という事に気づくことが大切ではないだろうか。

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    必要悪

    必要悪という言葉は英語にもあるようで、辞書をひくと「necessary evil」と書いてある。

    ただ、日本語の「悪」のイメージと「eveil」は深さが異なるように思える。

    eveil は「悪」ではなく、「邪悪」「よこしまな」と訳されていて、悪の中の悪、ピュアな悪であるイメージだ。

    だから、私達は、「必要悪」という言葉に出くわした時に、それが、「必要だから許される悪」ではなく、「本質的には相当な悪である」という事をきちんと認識すべきであると思う。

    抑止力だとか、電力だとか、「必要」な面ばかりフォーカスして本質をごまかそうとしている「力」が過分に働いているが、そのようなものに惑わされずに、「悪」という側面に向き合わなければならない。

    まして、それが、自分たちの国の将来を左右する重大事であれば、「必要」という仮面をまとった「悪」を見過ごしてはならないはずだ。

    沢山の言い訳や詭弁に惑わされる事なく、「悪」を「悪」として正しく認識して、一人一人が自分の意見を、自分の態度を決めるべき時なのだ。 最早マスコミはあてにならず、インターネットも玉石混交、他人の意見に同調する事なく、無闇に反する事なく、多くの事実に基づく情報と生命普遍の倫理観を持って「自分」の意見を持つ事が求められている。

    その結果、総意が「必要」を選択するか「悪」を拒むか、それによって、日本という国の未来が大きく変わろうとしている。

    私の意見は定まっている。戦闘は最終的には人殺しだし、人殺しは絶対的に悪である。程度の問題ではなく、その方向へ一歩でも進むことは間違いだと感じる。電力は必要だ、喉から手が出る程欲しいものだが、しかし、人の命、いや地球という惑星の命を犠牲にしてまで得る必要があると考えるのは、人間のエゴだ。 人は食物連鎖の頂点に立っているかもしれないが、結局は地球上の生命の一つに過ぎないし、頂点に立っているからこその責任を負っているということを忘れてはいけない。

    教えてください。貴方はどう思っているのか?「必要」を取るか「悪」を取るか。自分が自分の生活とはほとんど接点の無い場所の戦争で、誰の為かも曖昧なまま自分が死ぬか見ず知らずの誰かの命を奪わなければならない選択に迫られている状況、自分の家の隣にある発電所が確実に生命を脅かす量の放射線を放出しているその状況を想像した時、貴方はどちらを選択するのでしょうか?

    今はまだ、自分をちっぽけな存在だと考えたり、特別な行動を起こしたりする必要は無いと思うのです。日本という国が正しく機能していて、一握りの独裁的権力ではなく国民の総意が政治に反映されるのであれば、個人個人が考え、判断し、それを表明し、家族、友人、同僚、同級生、人と人のつながりのなかでそれぞれの意見を否定することなくはっきりと確認しあえば、きっと何かが変わるはずです。

    カテゴリー: ZAKKI | 1件のコメント

    I dunno if I gonna wanna do it.

    わかってしまえばなんてことない英文なんだけど、いきなり
    「これの間違えを直しなさい」と英会話の先生に言われた時は…???

    思わず、これって英語? って聞いてしまって笑われた…

    正解は…

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    I don’t know if I am going to want to do it.

    まさにこの問題を見た時の私自身か…?

    それにしても日本語に比べて英文は長い。例えば、いきなりロールプレーレッスンでは、Skypeのチャットでいきなりロールプレーの英文をドーンと送られて「うぎゃ!」っとなるのだけども、その内容は cofee shop で、珈琲を注文する程度だったりするので、読んでいくと、あぁなぁんだと思うことも結構ある。ただし最初の方で知らない単語でつまずくと、その後の簡単な単語やセンテンス含めてことごとくわからなくなってしまうのが怖い。とにかく英文は最初のとっかかりをいかに理解して、状況をイメージするかにかかっている気がして、最後の最後に結論が出てくる日本語とは反対なだけに、なかなか慣れない。

    逆に Lang-8 なんかで、まとまった量の日本語をドーンと書かれてしまうと、同じ量の英文に比べて内容がかなり濃くなるので、最後まで添削するのに一苦労。

    カテゴリー: 英語 英会話 English | 2件のコメント

    庭木の剪定

    庭の海棠(かいどう)の木が伸び放題で、おまけに毎年マイマイの幼虫(要するに毛虫)が沢山つくので、剪定しなければと思っていたのだが、5mくらいになってしまって、おまけに太いところでは3cmくらいあり、手持ちの農具ではどうにもなりそうもなかった。

    Amazonやら楽天やらを探していて、高枝切りバサミを買おうかと思っていたのだが、偶然朝のゴミ出しの時に庭木を切っていた近所の人に話を聞く機会があって、聞いてみたら高枝切りバサミと刈り込み鋏の両方を使っていて、高枝切りの方は使いづらいとのことだった。その方の刈り込み鋏は伸縮式になっていて結構な高さの枝にも対応できそうだったし、両手切りなので意外と太い枝もいけそうだった。

    そんなわけで、Amazonで伸縮式の刈り込みハサミを探していて見つけたのが、

    千吉 伸縮太枝切鋏 SGFL-6

    太枝切り鋏というもので、伸縮式のは珍しい。多少重たいのだが、私の目的にバッチリだった。 場所はとらないし、高い枝にも対応するし、太い枝もスパット気持よく切れるし、伸縮操作は手元で扱い易いと、非の打ち所が無い。

    ちなみに、通常の枝や、この太枝切り鋏で切った枝の処理には、以前も書いたかと思うが、断然ラチェット式の剪定バサミだ! これは毎年バラの剪定に大活躍である。軍手の上に、ホーマックのバーベキューコーナで200円くらいで売ってるグローブ(耐熱耐火グローブ)を履いて(北海道では手袋を履く!のだ)しまえば、かなりの刺のバラでも全く怖くない。ガシッと掴んでラチェット式ハサミを使えば楽にバラが剪定できるのだ。ラチェット式は枝太さに応じてハサミを変える必要が無く、かなり太めの部分でも3回くらいにぎにぎすれば楽に確実に切り落とせるから、かなり効率が良い。

    というわけで、週末の旦那さんの仕事には、このセット。かなりお勧めです。

    +ホーマックの耐熱耐火グローブ

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    悪戦苦闘の英会話

    英会話リベンジ宣言してから、なんだかんだと毎日続いています。

    時間があるときは、Lang-8の英作文(海外の友人との添削互助会?)もやっていて、少しずつ慣れてきている実感はあるのですが、自ら話すというのはやはり難しくて、亀さんの様な足取りです。

    英会話の柱は

    • 単語力(及びその延長線上の知識、特に文化的知識)
    • リスニング能力
    • 作文能力

    かと思いますが、

    単語に関しては、読んだり聞いたりするとなんとなくわかるものも結構あるのですが、日本語で考えたことを英語にしようとすると、全然出てきません。話すためには、日本語=>英単語が瞬時に出てくる単語を増やしていかなければならないと痛感しています。

    リスニング能力は、先生が丁寧に話してくれる事もあって、思ったより聞き取れている感じですが、各センテンスの最初の部分を聞き逃すと、先生がこちらに言っているのか、何か質問されているのかがわからずにそのまま会話が固まってしまうこともしばしばです。日本語と違って、とにかく英語は最初の単語が聞き取れるかどうかが勝負だと感じています。最初が、5W1Hならそれまでの話しの流れから、続く質問の内容にアタリを付けられるので、その後の単語も聞き取りやすくなります。

    作文能力は、Lang-8の添削だけでは厳しいそうなので、グラマーの書籍を購入しました。Lang-8は中国の人が多く、英語—>日本語の人はあまり多くない上に、日本語だけを書いて英語で内容が書いていない人がほとんどなので、自分と相互に助け合える友人に巡りあうのが大変です。おそらくわざとだと思いますが、そういう相手の検索手段も提供されていないようです。だいたい注意されるのは、前置詞の使い方、a と the 、単数・複数が多いような気がしますが、助詞が単語にくっついていてどこに置いてもそれなりに通じてしまう日本語と違って、英語は単語の位置が入れ替わっただけでまったく違う意味になってしまうので、辞書で単語を調べただけでは、どうにもならないのでした。

    始めの頃はGoogle 翻訳などの翻訳サイトの助けを借りながら英作文をしていたのですが、最近は、「使いものにならない」って感じる事が多く、自動翻訳では支離滅裂な英文しか生成されないということがようやくわかってきました。(前からそんな気はしていたのですが…)。それより、単語だけ調べて頑張って並べた方がかえって通じる気がします。書いている時はこんな並べ方で良いのだろうか?と無茶苦茶不安に思いながら書いているのですが、思い切って言ったり書いたりしてしまったほうが、黙っているよりかはマシだと思うようにしています。

    分からない単語はそのままそういう言葉だとしてとりあえず置いておいて、前置詞とかget , take, go , put みたいな主要な単語から文の作りを把握できれば、分からない部分はその場で先生に訊く事でフリーズ状態からは抜け出せるかもしれません。

    ただ、今日のレッスンでは夏に着るものみたいな話しになって、浴衣だと着物だと言ってしまったために、その説明や着方を説明しなければならないはめになったのですが、これって、もし着物を知らない日本人が居たとして、その人に日本語で説明するのだって簡単ではない事ないですよね。それを英語で説明だなんて…もちろん玉砕しました。

    I: Sometimes I wear Yokata in summer.
    teacher: What is “Yukata”?
    I: It’s simple Kimono.  Big one cloth … left and right … together … obi … obi is wide long cloth … Orz

    で玉砕したところに

    teacher : 大学で着物来るのを試した事があるよ。(もちろん英語で言ってます)
    I : え?そうなの? 着るの難しかったでしょ?
    teacher :  いいえ、簡単でしたよ。

    だって…着るより、私の着方の説明を理解するほうがめっちゃ大変だったよね…

    他にも、日本で紹介したい美しいところはある?って聞かれたので、上高地だって答えたのが運の尽き。当然、どんなところ?って質問が来るよねぇ…

    池があってね、川があって、森があって…って全然紹介になってないし… 苦しんだ挙句、空気が綺麗だって言ったら、ようやく Oh! って言ってくれました。

    いやいや、まったく先が思いやられるんだけど、3ヶ月は頑張るぞぉ~。でも、その前に、先生に見放されないか心配…

     

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    Cherry blossom

    Cherry blossom trees are a beautiful symbol of Japan.
    Of course the tree itself is beautiful, but I feel the scenery is more beautiful when the cherry trees are in bloom.
    They bloom in April in Tokyo, but they bloom in May in Hokkaido.
    I think that this delay makes cherry blossoms in Hokkaido more beautiful.
    The fresh green of spring, a refreshing blue sky, some deep blue sea, happy families’ voices, and a light cold wind sometimes blows.
    The scent of cherry blossoms wraps up this “turn of the seasons” happiness.

    DSC_7321
    May 5 at Otaru in Hokkaido.

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    美しいもの

    人の好みは多種多様で、文化が異なればそれは更に拡大する。

    しかし、美しい思う感覚の根っこの部分は、実は共通しているのではないかと思う。

    例えば、ロックミュージックが好きな人であっても、クラシック音楽の美しさは否定できないし、ロックミュージックの中の美的な部分とクラシック音楽のそれには共通性を見出すことができる。 これは写真であっても、映画であっても、同様。

    美しいものとはどういうものだろうか?

    逆を考えてみると、私が美しくないと感じるものは、ゴミ、雑然とした状態、フェアでない事、暴力といったもので、これらは、精神的であれ肉体的であれ、人を傷つけるものだ。

    ゴミを減らすにはどうすれば良いだろう、ゴミについての知識を得て議論することも大切かもしれないが、それだけではゴミは減りそうにない。大切なのはゴミがない状態を美しいと思う心を育てて、多くの人がその状態を好み、日々の生活の中でそれを意識する事だと思う。

    同様にアンフェアで暴力的な問題を解決するには、その問題性を議論することの大切さはあるにせよ、フェアで平和的な解決を美しいと感じ、多くの人がそれを好み、なんらかの対立があった時に、美しいと思える方法を選択しようとする心を育てる事が大切だと思う。

    まして、美しくない方法に、美しくない方法で対抗することに何の意味があるというのだろう。それは美しくないものを増やすだけであって、それだけ多くの人が傷つく事になるだけだ。

    お店のトイレなどで、「いつも綺麗にお使い頂いてくださり、ありがとうございます」という張り紙を目にする。まさに美しいものに目を向けさせることによって、美しくないものを減らそうという素晴らしい試みだと思う。そんな方法ももっとトライすべきだろう。

    暴力を抑止力だとか必要悪だと誤魔化さず、思い切って放棄してしまって、それにつぎ込む予算を人を助ける事に使うのはどうだろうか。自衛より救援の方がずっと美しい。

    美しいものとは、人を成長させ、美しくないものから解放するための polar star かもしれない。

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    About the importance of being prepared

    About the importance of being prepared.
    準備することの重要性について

    The importance of preparation in the sense of  “being prepared for the next situation” is easy to forget.
    「次の状況に備える」という意味での準備の重要性は意外と忘れられがちです。

    Sometimes, there is even the misconception that “being unprepared” is something cool.
    時には、「準備ができていない」事の方が格好良いと誤解されるケースもあります。

    Actually , seeing people who are able to react appropriately and promptly to a situation gives a good feeling.
    確かに、状況に機敏に的確に反応できる人は見ていて小気味良いですが、

    But, the person who can react thus, is not the unprepared person.
    その人は準備をしていないわけではありません。

    Such a person is preparing themselves to be able to react quickly.
    その人は機敏に反応できるように準備をしているのです。

    Most often, the great effort such a person makes, remains outside the field of view of anyone else.
    多くの場合、他人に知られないところで、大きな努力をしています。

    Even when playing a musical instrument, it is very important that you ready your fingers for the next note with imagination.
    楽器演奏でも、フレーズをイメージして、これから弾く音の為に指を準備しておくことがとても重要です。

    If you only focus on putting a finger on the key at the required moment, you can not be a good piano player.
    音を弾く瞬間に鍵盤に指を置く練習を繰り返していては、どんなに一生懸命練習しても、良い演奏になりません。

    On the other hand, if you practice putting your fingers on keys that you play from now on, you will be able to play comfortably.
    逆に、これから鳴らす鍵盤に指を準備しておくという練習によって、楽に演奏することが出来るようになります。

    In conversation too, in anticipation of the story of the other party, to be ready, you listen well.
    会話でも、相手の話を予想し、準備ができていれば、良く聞き取ることができます。

    maybe.
    たぶんね。

    ( Thanks for correction,  mathiaarkoniel.)

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    About "continuing every day".

    There is a saying in Japan: “continuation is power”.
    Almost everyone knows the importance of “continuing every day”.
    There are some points to that.

    – Enjoy it.
    – The daily minimum quota must be set very lower. For example, 5 minutes of piano practice or 1 sentence of English composition.
    – Don’t worry about the days you could not meet your quota.
    – Cherish small changes in yourself.
    – Don’t try to do it until you can do it in the day.
    – Have companions who suppprt you.
    – Do not compare yourself with others.

    I had many experiences where I was able to do something that I could not do before.
    If we practice every day, we might grow during sleep.
    I experienced frequently that if I was diligent every day, than I got unexpectedly sonn to the point which seemed very far.
    Maybe, those who aim too high have to practice too hard every day.
    But, we don’t need such hard practice for studying an instrument as a hobby or studying English conversations or English composition for fun.
    I think it’s better to have fun and continuing on a lighter tone.
    It is said that when one turns 20-years-old, the growth process stops.
    Certainly, it’s going to be disheartening if you expect rapid growth.
    However, I think that “continuing every day” surely makes us grow.

    ( Thanks for correction,  mathiaarkoniel.)

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