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投資とは「稼ぐ力」を育て、社会に活かす行為
投資というと、株式や投資信託といった金融商品を思い浮かべがちですが、私はもっと広く捉えています。
たとえば、自分のスキルを磨くことや健康を保つことも投資の一種だと思っています。
共通しているのは、「未来の価値を育てる」という視点です。
お金であれ能力であれ、それを通じて自分自身の可能性や社会的な貢献を広げていく。そうした投資は、単なる“お金儲け”とは違う豊かさをもたらしてくれます。
利益が出ると、なぜか“売りたくなる”心理
とはいえ、投資をしていて少し利益が出てくると「今のうちに利確しておきたい」と感じること、ありますよね。
人間の自然な心理でもありますし、誰が悪いという話ではありません。
でもここで、私はふと思うのです。
積立NISAなどの長期投資は、「時間を味方につけて育てる」ことを前提としているのでは?
それなのに、ちょっと含み益が出た時点で売ってしまうのは、果実が実る前に木を切ってしまうような行動かもしれません。
目的がある利確はOK。でも、目的はあるか?
もちろん、「〇〇に使いたいから一部売却する」というのは良い判断だと思います。
目標があって、それを実現するための資金として投資を活用するのなら、それはむしろ理想的です。
一方で、**「なんとなく下がりそうだから売っておこう」「利益が減るのが怖い」**という理由だけで利確する場合、少し立ち止まって考えてもいいのではないでしょうか。
自分の能力を「利確」してしまうことに置き換えてみると…
このことを、自己投資やスキルの話に置き換えてみると、よりリアルに感じられます。
たとえば、70歳になっても自分の能力を活かして、社会とつながりながら楽しく仕事をしている人がいたとします。
それなのに、「もう稼げるようになったから、この能力を手放して、あとはのんびり過ごすだけにしよう」と言い出したら、どう感じるでしょうか。
もちろん「新しくやりたいことがある」なら、それは素晴らしい。
けれど、明確な目的もなく、せっかくの能力や経験を途中で手放してしまうのは、少しもったいない気もします。
投資は、価値を“活かし続ける”力
私にとって、投資の本質とは「価値を持ち続けること」ではなく「価値を活かし続けること」です。
それが金融資産であっても、技術や人脈であっても、自分自身がどう活かし、どう関わり続けるかが大事なんだと思います。
だからこそ、利確したくなったときにはこう問いかけたいのです。
「それは本当に、自分の目的に沿った行動だろうか?」
「自分が投資によって得ようとしていたものは何だったのか?」
焦る必要はありません。
その瞬間に売るかどうかよりも、自分の価値観に沿った投資を続けられるかどうか――
それが長い目で見て、もっとも大きな“リターン”につながるのではないかと思います。