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はじめに:「余剰資金で投資しましょう」の違和感
投資に関するアドバイスで、よく聞く言葉があります。
「余剰資金で投資しましょう」。
でも、その“余剰資金”って、どんなお金のことでしょうか?
使いみちのない「余ったお金」でしょうか?
そんなお金を持っている、一部の恵まれた人だけが株式投資をするべきなのでしょうか?
もしそうだとしたら──NISAは誰のためにあるのでしょう?
私たちはこれから、どうやって自分の資産を守り、育てていけばよいのでしょうか?
お金を“死に金”にせず、働かせて、社会にも貢献させるにはどうすればいいのか?
「余剰資金」の意味を誤解したまま投資を始めてしまえば、
投資と投棄の境界が曖昧になり、結果的に損をしてしまうかもしれません。
それはとても、悲しいことです。
失ってもいいお金なんて、本当は存在しません。
なぜなら、お金とは単なる紙や数字ではなく、
あなた自身がこれまで積み上げてきた価値そのものだからです。
1. 「余剰資金で投資しましょう」の違和感
「株式投資は余剰資金でやりましょう」
投資に関する情報に少しでも触れたことがあれば、一度は目にするアドバイスです。
でも正直に言えば、私はこの言葉にどこかモヤモヤした違和感を抱いていました。
そもそも「余剰資金」って、そんなにある人ばかりなのでしょうか?
日々の生活で精一杯で、貯金も思うようにできない。
そんな状況で、「投資は余剰資金で」なんて言われたら、最初から自分には関係ないものだと感じてしまいます。
でも、投資を始めた今だからこそ思うのです。
この「余剰資金」という言葉には、正しく理解しないと逆に損をする危うさがあるのではないかと。
2. 「余剰資金」の誤解──それは“捨て金”ではない
「投資は余剰資金でやりましょう」──
この言葉を初めて見聞きしたとき、私はこう思いました。
「余ったお金なんて、ウチにはないけどな…」
多くの人がそう感じるのではないでしょうか?
日々の生活費、急な出費に備えた予備費、老後資金や教育費…。
どれも“いつかは使う”お金であり、“余っているお金”ではありません。
それでも投資を始めてみようと思った私は、「とりあえず失っても困らない範囲でやってみよう」と考えて、少額から株式投資を始めました。
ところが、株価というものは、思ったよりも簡単に下がります。
ある銘柄が一時的に値下がりして、含み益が減ったり、含み損が出たりする──
そういう経験を何度か繰り返す中で、私はようやく「余剰資金の本当の意味」に気づくことになります。
💡 余剰資金とは、「待てるお金」「揺らがないお金」
私が感じた“本当の余剰資金”の定義はこうです。
たとえ株価が一時的に下がっても、慌てて売らずに、 いずれはプラスになると信じて持ち続けられるお金。
つまり、“余剰”とは「余った」という意味ではなく、
「今すぐ必要ではなく、将来のために待てるお金」「目先の変動で判断を狂わせないお金」ということです。
これは単なる金額の話ではありません。
時間と気持ちの余裕があることが、最も大事な要素なのだと痛感しました。
❌ 「失ってもいいお金」なんて存在しない
よく見かける投資アドバイスの中に、「最悪ゼロになってもいいお金でやりましょう」というものがあります。
この言葉は一見正しく聞こえますが、私は強く疑問を感じます。
失ってもいいお金って、そもそもそんなものが本当にあるでしょうか?
私はそうは思いません。
お金というのは、すべて自分の人生の時間や努力の結果です。
それを「無くなってもいい」と思って投げ入れること自体、どこか自分の人生を軽く見ているような感覚すらあります。
✅ 私が意識している“余剰資金”の条件
実際に投資を始めてから、私は以下のようなことを自分の中で明確にするようになりました。
- 今すぐ生活に必要ではない(使う予定が半年以上ない)
- 緊急時のための貯金は別に確保してある
- 価格が下がっても、「すぐに現金化しなければ」とは思わない
- 含み損が出ても、「まぁ数年放っておこう」と思える
- 給与が安定していて、すぐ使わなくても不安がない
こういう条件をクリアできるお金を「余剰資金」として使うようにしています。
📉 株価が下がった時に試されるのは“金額”ではなく“姿勢”
一時的に含み損になることは、投資をしていれば避けられません。
でも、そのときにどう感じるか、どう判断するかは、そのお金の“性質”によって決まるのだと実感しました。
- 「あぁ下がった…でもすぐに使うお金じゃないし、待とう」と思えるか
- 「どうしよう! もう損する前に売った方がいいかも…」と焦るか
この違いは、金額ではなく、自分がそのお金をどんな前提で投資に回しているかで生まれます。
つまり、「余剰資金の定義」が、あなたの行動を決めるのです。
🔁 「余剰資金」とは、損しないための“前提条件”
今の私は、「株で損をしないためには、何を買うかより前に、どんなお金で買うかを考えることが重要だ」と思うようになりました。
その意味で、余剰資金とは、損をしないための“最初の装備”のようなものです。
装備が不十分だと、どんなに良い銘柄を選んでも、不意の下落で逃げ出してしまう。
でも、装備がしっかりしていれば、多少の波ではブレずに進める。
📌 まとめ:余剰資金とは「信じて持ち続けられるお金」
余剰資金とは、“雑に使ってもいいお金”ではありません。
それは、未来を信じて、落ち着いて待ち続けられるお金。
つまり、「何があっても自分を慌てさせない」という前提で設計されたお金です。
これに気づけたことが、私にとって、投資を始めて最も大きな学びでした。
そして今では、「損をしない投資」とは、銘柄選びの前に、この“余剰資金の考え方”に尽きるとさえ思っています。
3. 損を覚悟しても、損を前提にしない株式投資
投資を始める前、私は「投資=損をする可能性がある」「運が良ければ儲かる」くらいの認識でした。
だから、「ある程度は損しても仕方ない」「ゼロになってもいいお金で」と言われると、逆に納得してしまったんです。
でも、本当にそれでいいのでしょうか?
投資で損をするのは一時的な出来事かもしれません。
けれど、「損をしてもいい」という気持ちで投資を始めてしまうと、判断も行動も雑になりやすいと実感しました。
「どうすれば損をしないで済むのか」「減ったときにどう動くべきか」
そういう視点を持つようになったとき、私はようやく“投資を始めた”といえるのかもしれません。
4. 投資と運用の違い──あなたはどちらを目指しますか?
投資とひとことで言っても、目的は人それぞれです。
- 資産を「増やす」ため
- 資産を「守る」ため
目的によって、“余剰資金”の捉え方も変わってきます。
私は「守る」側の感覚で投資を始めました。
だからこそ、損を前提にせず、焦らずに長期で育てられるお金であることが最優先でした。
5. 投資をしないという選択──それでもリスクは避けられない
「投資は怖いからやらない」
かつての私も、そう思っていました。
けれど今は、「投資をしないこともリスクである」という現実を知りました。
特に、インフレや超低金利の時代において、現金を持っているだけでは資産は実質的に減っていく一方です。
もはや、「投資を知らなくてもいい」ではなく、「知らないと損をする」時代なのかもしれません。
6. みんながやってるから?──“なんとなくNISA”が生む投棄
最近ではNISAを始める人が増え、証券口座を持つのも当たり前のようになってきました。
それ自体は良いことですが、“なんとなくNISA”の危うさも感じています。
「みんながやっているから」「S&P500が人気らしいから」
そんな理由だけで始めてしまうと、一時的な下落で不安になり、結局やめてしまうという結果になりかねません。
投資は、銘柄よりも先に「自分がなぜやるのか」を決めることが大切だと思います。
そこがブレると、どんな優れた商品でも長くは続きません。
7. 価値は保存される
株式投資をしていると、日々の株価が気になります。
含み益が増えたり、逆に元本を割り込んで含み損になったり、心が浮き沈みしやすくなるのは、誰しも同じです。
でも私は、投資を続ける中で、こう考えるようになりました。
「株価が下がった=価値が下がった」ではない。
もちろん、企業の業績が大きく悪化しているなら話は別です。
でも、そうでないなら、株価の下落はあくまで「一時的な市場の評価のブレ」に過ぎません。
企業そのものの価値が維持されていると信じられるのであれば、
その株を「自分の資産として持ち続ける」という選択も、自然とできるようになります。
この「価値」と「価格」の違いを冷静に見られるようになったのは、
やはり**“余剰資金で投資している”という前提があるからこそ**だと思います。
逆に言えば、自分が信じていた企業の価値そのものが崩れたと感じたとき──
たとえばビジネスモデルの根本的な失敗や、回復困難な業績不振など──
その時は、迷わず手放す判断も必要です。
「価格」ではなく「価値」で判断できるようになる。
それが、余剰資金で投資することの最大のメリットの一つだと、今は感じています。
8. おわりに:あなたのお金は、あなたの人生の一部
今、私はようやく「お金はただの数字ではない」と思えるようになってきました。
それは、自分の時間・努力・人生の積み重ねそのものです。
だからこそ、「余剰資金」という言葉を軽く扱ってはいけない。
それは「雑に使ってもいいお金」ではなく、「丁寧に働かせることができるお金」だと今は思っています。
投資とは、自分の価値観と向き合い、未来をどう生きたいかを考えるきっかけになるもの。
そういう目線から、私はこれからも「損をしない投資」を目指していきたいと思っています。
投資とは、利益を得るための行為であると同時に、自分自身の判断力と価値観を試す、静かな対話でもあるのかもしれません。