コード・和音・和声の弾き方

少しいい加減な事を書くことになると思うので、あらかじめ断っておく。 今年は発表会で、ショパンのノクターンを弾かせてもらえるということになって、生まれて初めてショパンの楽譜に取り組んでいる。 少し弾ける子なら小学生でも弾くような曲ではあるが、私にはいろいろ勉強になっている。 その曲を練習していて最近思うことだが、クラシックであっても、左手は伴奏として、和音を弾くことが多いと思うのだが その弾き方は、ジャズやロック、フォークソングといったものとは全く異なる。 異なるということはなんとなくわかっていたのだが、ではどう異なるのかという事になると、こうだと言えるところまでわかっていなかった。 私は小学生の頃から、フォークギターを弾いていて、中学・高校・大学とも、あまり本気にはやらなかったにせよ ギターに関わっていた。 そのせいか、無意識のうちに、コードとかコード進行という形で伴奏を捕らるくせが付いてしまっている。 例えば、フォークの歌本だと、歌詞が書いてあって、そこに、 Am とか G7 といった具合にコードネームが書いてあるだけ。 そのコードをどのポジションで弾くといった指示は書いていない。 ポジションによって、響きや雰囲気が変わる事は理解していても、コードの構成音の流れといった捕らえ方はしない。 もしかしたら、ギターでそこまで考えて演奏するのはすごく難しいのではないかと思う。 そういう癖が付いてしまっているので、ピアノを弾いているときも、よく考えると、左手は手の形(パターンとかポジション)で 覚えてしまっていることにはっとすることが多い。 この方法の利点は、パターンで覚えるので非常に暗譜が楽だということなのだが、 残念ながら欠点が多すぎる。

パターンで覚えるのはまずいと気づき、ではどうするかなと思って、次に思いついたのは、和音で覚える事。 つまり、ここは、ドミソ だとか、レファラ だとか のコードの構成音をキチンと意識して、 その音を、どういう展開形で弾いているのかということも意識するということだ。 みかこさんが調性を意識して弾けと口をすっぱくして言うのは、こういう意味もあるのだろう。 パターンで覚えてしまう最大の欠点は、音を出してみないことには音がわからないということだと思うが、 和音を意識することで、実際に弾かなくても、頭の中で音が鳴ってくれる。 これは、演奏においてはとても大事で、自身を持ってその音を鳴らすためには必須のことだ。 和音で弾くことにくらべると、パターンで弾くことは、やま感で弾いているようなものなのだ。

さて、私はまだ、この和音で弾くということすら満足に出来ていないのだが、 最終目標は和音ではなく、和声で弾くということになる。 つまり、伴奏を単純な和音の連続として捕らえるのではなく、 和音のそれぞれの構成音が、それぞれ旋律(声部)を持っている事を意識する事が大事だと思う。 そこから、内声の認識が生まれる。主となるメロディーに対して、伴奏の中にあるメロディーだ。 単に和音の連続として弾いていては絶対にこれは表現できない。 声部を意識するということは、指一本一本の音量やニュアンスをコントロールすることであるが ほとんどの場合において、指ごとに声部が存在するわけではないのだ。 つまり、小指はこのくらい、とか、中指はこのくらいといった演奏は不可能であって、 きちんと、声部をイメージして演奏することで、初めて次々に異なる指で弾いたものが、 声部ごとの流れとなって現れてくるのである。 みかこさんの発表会では、ピアノの発表会なのに、毎年コーラスという演目がある。 3声から4声のコーラスなのだが、これが、和声を勉強するのにとても役立つのだ。 ピアノの曲も、単に複数の声部からなっているというだけではなく、 コーラスの様に、男性・女性とか、ソプラノ・アルト・テノール・バス といった人間的な声部で構成されるのが通常だからだ。 そう感がると、あ、今自分の小指はソプラノの歌を歌っているのだなとか、ここはバスが支えるところだから もうすこし深い音をだそうとか、ここで、旋律が、アルトからソプラノへ移るとか想像しながら 楽みながら、声部を弾き分けられそうな気がする。 今のところ、自分の演奏では、レッスンでみかこさんに指摘されたところがなんとか出来ているかどうかといったところなのだが、 人の演奏を聴くときには、そういう意識で聴くことが多くなっているように思う。 ここはもう少しバスの音が欲しいなとか、ソプラノがギャンギャンうるさすぎ!とかね。

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