🌕 見えないものを信じる力 ― 物欲・所有欲からの解放

キャンプグッズ使ってますか?
買って持っているだけの物、多くありませんか?
夫婦関係に、味噌汁は必要ですか?


1. 手に取れるものだけを信じてきた時代

トイレットペーパーやマスクの買い占め、今は、金(ゴールド)の行列。
日本人は、手元にないと落ち着かない民族かもしれない。
「持っている」ことでしか安心できないのは、
私たちの“農耕民族の記憶”がまだ生きている証拠だ。

所有することが安全の象徴だった時代。
預金通帳の数字、家、肩書き、車、あらゆるものが「自分を守る壁」だった。
けれど、いま私たちは少しずつ、その壁の中で息苦しさを感じ始めている。


2. 信頼のかたち ― 欧米と日本のちがい

欧米では「信用」や「契約」が社会の土台にある。
それは、見えない約束を信じる文化
一方で日本は、目に見える関係性や、
共有された“場の空気”の中に信頼を築いてきた。

だから日本人にとって信頼とは、
遠くの相手を信じることよりも、
隣にいる誰かと調和することだった。
その違いが、国際社会の中では「未成熟」と映るのかもしれない。
けれど実際は、成熟の“方向”が違うだけなのだ。


自分を信じる力の欠如

もう一つの違いは、「信じる対象」がどこにあるかだ。
欧米では、信頼の中心が“自分自身”にある。
失敗しても「またやり直せる」と信じる力が、
所有から自由でいられる土台になっている。

一方で日本では、
「自分」という存在を社会の中の立場や肩書きで定義しがちだ。
どこの大学を出たか、どんな会社にいるか、
その“位置”こそが自己の証明になっている。

だから、地位やモノを失うことは、
自分の存在そのものを失うように感じてしまう。
これは能力がないからではなく、
“自分を信じる訓練”をしてこなかった文化の結果だと思う。

もし自分の力を信じられるなら、
裸一貫でももう一度立ち上がれるという確信が持てる。
そうなれば、モノに縛られず、
“持たない自由”の中にこそ安心を見いだせるはずだ。


3. 遠距離恋愛とゴールド投資

遠距離恋愛を苦手とするのも、
ETFより地金を求めるのも、根は同じ。
日本人は「形」「距離」「所有」を通して安心を感じる。
それは不器用なようでいて、
確かさに重きを置く誠実な感性でもある。

同じ月を見上げながら、
遠く離れていてもつながっている二人のように、
見えない関係を信じる力が、
これからの時代にこそ求められている。


4. 所有から信頼へ ― 次の成熟へ

もしこれからも国際社会と共に歩むなら、
「持つ安心」から「信じる安心」へ、
少しずつ重心を移していく必要があるのかもしれない。

ゴールドも愛も友情も、
本当は“距離を超えて続くもの”。
見えないものを信じる力——
それは、所有から解放される勇気であり、
日本人が次の成熟へ向かうための静かな一歩なのだと思う。

カテゴリー: ZAKKI | コメントする

トルコ旅行で考えた、日本のこれから

先日のトルコ旅行で、いろいろ感じることがありました。
輸入製品やブランド品は日本より高いのに、現地のサービスやお土産は日本より安いものも多い。

たとえば、

  • 公衆トイレが15リラ(約60円)
  • チップが30リラ(約120円)
  • ナザレボンジュのキーホルダーが10個で1,000円程度

日本で同じものを買ったり利用したりすれば、もっと高くつきます。
一見「トルコの方が安い」と思えるのですが、背景には強烈なインフレがあり、現地の人にとっては生活が大変だと聞きました。

そんな体験を通じて強く思ったのは、円安・円高という為替の話以上に、日本自体が長いデフレで世界から取り残されてきた現実です。
気づけば「物価も収入も安い国」になってしまっていました。


日本に必要なのは“好循環”

もし日本が内向きに鎖国のような暮らし方を選ぶなら、それでもいいのかもしれません。
でもグローバルに人やお金が動く時代には、そういう選択肢では国が弱ってしまう気がします。

必要なのは、適度なインフレと、それに見合った賃金上昇を伴う循環
為替は1ドル=135〜150円くらいが妥当なバランスではないでしょうか。
その範囲で3〜4%程度のインフレを維持し、毎年のベースアップを実現できるようにする。

企業が増収分を内部留保に溜め込むだけでなく、給与や設備投資に回せるような仕組みも必要になるでしょう。


短期の痛みと、必要な支え

もちろん、こうした循環が回り出すまでにはタイムラグがあります。
先に物価が上がって、賃金は後からついてくる。
その間は、どうしても「円安+インフレのダブルパンチ」で生活が苦しくなります。

だからこそ短期的には、ガソリン税や消費税といった身近な部分で負担を和らげつつ、国全体で流れを切らさないことが大事だと思います。


国民の側にできること

同時に、国民それぞれの生活防衛も欠かせません。
預金だけではインフレに弱く、仮に3%のインフレが続けば20年で価値は半分になってしまいます。

100 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 x 0.97 = 54.38

NISAなどをきっかけに、小さくても投資を始めたり、株式や不動産、ゴールドのようにインフレに強い資産を少しずつ持っていくこと。
そうした工夫が、これからの時代の安心につながっていくように思います。

実際、今回訪れたトルコでは、現地の人々が「収入が入るとすぐにユーロに替える」と話していました。
これは金融商品というより、身近な生活防衛策です。自国通貨の価値が目減りしていく中で、少しでも価値を守るための習慣なのです。

私たちにとっても、「円だけに頼らない」という意識は大切になっていくでしょう。


新しい政権への思い

ちょうど日本でも新しい首相が誕生しようとしています。
今回の総裁選では誰がなっても期待は薄いという声も多かったですが、財務省寄りといわれた小泉氏ではなく、高市氏になったのは、案外悪くない選択かもしれません。

私は基本的に自民党一強の体制には慎重な立場ですが、今は過半数割れで野党との調整が必要な状況。
その中での高市政権なら、独断的に見えながらも暴走は抑えられる可能性があります。

反発や批判の声もあるけれど、経済的な背景を踏まえて冷静に見れば、むしろ日本が変わるきっかけになるかもしれない
そんなふうに、私は一定の期待感を持っています。


おわりに

トルコで感じた「物価と生活のギャップ」は、日本のこれからを考えるきっかけになりました。
短期的には痛みもあるかもしれませんが、長期的には物価と賃金の好循環をつくり、世界水準に追いつくことが大切だと思います。

批判や賛成を一色で決めるのではなく、冷静に見極めつつ、自分自身も備えていく
それが、今の日本にとって一番前向きな姿勢なのではないでしょうか。

カテゴリー: ZAKKI | コメントする

新千歳空港の駐車場なら、ココ!

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1219940

新千歳駐車場、大幅値上げで混雑解消なるか<来週の北海道経済>10月5~11日

ほんとは、あまり教えたくなかったのですが、かなり気に入ってしまって、ブログで宣伝します!と言ってしまったので、書きます。

新千歳空港の駐車上が値上げされて、A/B/C 駐車場は、個人の旅行者で長期駐車するのには高すぎるものになりました。個人的にはこれは良いことだと思っていて、空港直結の駐車場は、ビジネスなどである程度コストがかかっても良いから急ぐとか、荷物が沢山あるとかの人のために、突発的な事であっても、いつでも利用できる状態であるべきで、あらかじめスケジュールしていて、急ぎでも、大量の荷物があるでも無い旅行者に占有されてしまって、本来利用しなければならない人が利用できないのは良くないと思うのです。それが値段で解消するべきかどうかで決まるのはいろいろ意見があると思いますが、予め予約もできないような用途での利用がかなりの割合で含まれるとすれば、値段を上げる以外の対策もないのかもしれません。

いずれにせよ、我々旅行者は、A/B/C以外の駐車場を利用したほうが良いと思いますが、第一候補としては、千歳空港と関係が深い、寿インターということになると思います。次の選択肢としては、ロングタームなどの以前からある空港近場の駐車場でしょう。これらの駐車場も悪くは無いのですが、問題はシャトルバスで、無料送迎は良いのですが、20分とか15分とダイヤが切られている上に、満席だと、1本待ちとなります。しかも、乗り場がちょっと分かりづらかったり、時間よりちょっと前に出発してしまったりして、私も以前1本乗り過ごしてしまって(私が悪かったわけではない)、電話連絡して急ぎで戻ってきてもらったというようなことがありました。時間通り待っていたのに、出てしまって、20分待ってようやく着たのが満席で、更に1本待ったなんて話も聞きます。帰りならまだしも、行きだと飛行機の時間もありますし、かなり不安になります。ロングタームは寿より近いので、バスの回転も良いとは思いますが、それでもやはりダイヤが決められているという不安があります。

今回、寿インターにしようかロングタームにしようか迷いながら GoogleMap を眺めていたら、新千歳のICの近くに、新たに、T’s パーキング というのを見つけました。

まだできたばかりですが、評価も高く、値段も、寿インターが 700円、ロングタームが 800円に対して、600円と格安。入庫はQRコードで出庫は、駐車場チケットを入れて、キャシュレスと手軽。予約システムがあるので、安心して行けます。(寿もロングタームも予約できません=予約不要で絶対停められるとは言っていますけど) 良かったのは、送迎で、新車のハイエース2台とマイクロバス1台を回転させて、ダイヤなし。状況に応じて、いつでも送ってもらえますし、帰りも、電話一本でむかえに来てくれます。千歳空港から8分という好立地ですから、待ち時間も少なく、私の場合は電話したときに、たまたま国際線ターミナルに来ていたので、2分で到着でした。今回は、行きも帰りも、私達二人だけだったので、ハイエースにバンバンと荷物を積んで、ちなみに積み下ろしもやってもらいました、非常に快適に送迎してもらいました。

駐車場は、全面舗装で、非常に綺麗ですし、長期で停めても車が汚れませんし、スーツケースを運ぶのも楽です。まだ認知度が高くないので、空いていて、どこでも停め放題でした。今でも十分な台数が確保されていますが、本業?のために車を置いてあるスペースも使えば、更に大幅に拡張できるそうです。まだ看板が少なく、ICから駐車場までで、ここに本当に駐車場があるのかな?と心配になるところはありますが、信じて進めばちゃんと駐車場の入口がありますので、そこでQRコードをかざして入庫できます。

というわけで、立地、値段、サービス、どれをとっても、他のどの駐車場より快適な T’s パーキングは、これから、新千歳空港を利用するときには、定番の駐車場となるでしょう。

たぶん、あっという間に知れ渡って、混んでしまうかもしれませんから、そうなったときに、どれだけサービスを維持できるかがポイントかもしれません。基本的に予約システムがあるので、大丈夫だと思いますが、便が集中する時間帯は、大変かもしれませんけど、今のサービス、使い勝手を維持してほしいと願っています。

カテゴリー: ZAKKI | コメントする

トルコ旅行Tipsまとめ(実体験から)

ネットで調べても分かりにくい、あるいは実際に行ってみると事前情報と違っていたことを整理しました。これから同じように旅行を計画する方の参考になればと思います。


1. 飛行機の荷物チェック

預け入れ荷物

  • 事前情報どおり。特に意外な点はなし。

機内持ち込み(ピーチ航空)

  • 新千歳 → 成田の便のみ非常に厳格
  •  バッグ、パーソナルアイテム、ボディバッグ、セキュリティポーチまで、服以外はすべてまとめて重量計に載せるよう指示
  •  ジャケットの下に隠していても、バッグと分かれば対象。
  •  実質「合計7kg以内」で、パーソナルアイテムの別枠は認められない。
  •  成田発や帰路のピーチ便では、重量チェック自体なし。

機内持ち込み(カタール航空)

  • とても緩い
  •  機内持ち込み1点にタグが付くだけで、重量やサイズの測定なし。
  •  小さなバッグを複数持っていても特に指摘なし。
  •  念のためまとめ直したが、結果的に不要だった。

ブラックホール 40L について

  • ピーチでもカタールでも問題なく機内持ち込みOK
  •  サイズを測られることも、指摘されることもなし。
  •  実際の印象としては:
  •   上部の収納に入らなそうな大きな荷物
  •   特に車輪付きのトランク型でなければ、サイズチェックはされないように思える。

学んだこと

  • ピーチは「7kgルール」を厳格に運用するが、サイズにはそこまで厳しくない。
  • カタールは重量・サイズともに緩い。
  • ブラックホール40Lは、国際線・国内線ともに実用的な機内持ち込みバッグとして安心して使える

我々の荷物戦略

今回の旅行では、荷物をどうまとめるかが一番の課題でした。その中で、最終的にたどり着いたのが次の4点構成です。

空港カウンターでは状況に応じて、ブラックホールの中にユニクロ2Wayやボディバッグをまとめて「7kgチェック」に対応。セキュリティ通過後に分離して普段の形に戻す、といった調整を行いました。

見た目には荷物が多いように見えましたが、実際には:

  • ブラックホール40Lとユニクロ2Wayは見た目より軽量
  • スーツケース以外すべて合わせても 7kg以下

だったので、軽量で柔軟に使える組み合わせでした。
他の参加者より多く見えても、実際には7kg以下に収まる“軽量セット”だったと言えるでしょう。パタゴニア ブラックホール 40L は、無駄な仕切りがなく、バッグ自体が収納できてしまう大きなポケットや、蓋部分の内側にメッシュポケットがあったり、蓋側が背中にくるようにショルダーストラップが付けられたり、これ自体防水だったりと、まさに機内持ち込み用として、あるいは現地でタフに使うバッグとしては最高のバッグだと思います。

帰国後に他の選択肢も考えましたが、この組み合わせがやはり一番安心でき、次回の旅行も同じ戦略でいこうと思います。


2. ドーハ空港ラウンジ(サウス)

事前情報

  • サウスは激混み、ノースも「入れてもシャワーは無理」「席が満席」といった情報ばかり。

実際の体験

  • 到着後、サウスに直行 → 空いていた
  • プライオリティ・パスを提示するとすぐに案内。待ちはほぼなし。
  • 「時間があまりないけどシャワー使える?」と聞いたら「4時間もあるなら余裕」と逆に驚かれた。
  • 実際、シャワーも座席も待ち時間ゼロで快適に利用できた。

学んだこと

  • ネットの「混雑前提情報」と違い、タイミング次第でサウスでも快適に使える
  • 混んでいる想定で準備は必要だが、実際に足を運んで確認する価値あり

3. ホテルのプール・サウナ(ブルサ・イスタンブール)

情報不足の現状

  • 添乗員やツアー日程表には利用案内なし。
  • ネットでも「プール・サウナあり」とだけで、
  •  無料かどうか
  •  ロッカーの有無
  •  利用方法
     は分からない。
  • 結果、多くのツアー参加者は利用できなかった。

実際の利用方法

  1. 部屋で水着を着用。
  • ブルサでは水着+服で移動、違和感なし。
  • イスタンブールでは受付に「水着の上にガウンを着て来て」と言われ、その格好でスリッパのままエレベーターへ。ちょっと恥ずかしいが、受付で確認したら笑顔で「全く問題ない」と言われ安心。
  1. 受付でルーム番号を伝える。
  2. ロッカー利用
  • ブルサ:暗証番号4桁+「#」でロック/解除。
  • イスタンブール:同様だが、係員が実際にロッカー前で説明してくれた。
  • ロッカーがあるのでルームキーや貴重品も持ち込みOK。

学んだこと

  • 水着+ガウン+スリッパで移動は現地では普通。気にしすぎないこと。
  • 分からないことは受付や係員に聞けばすぐに解決。スタッフはとても親切。
  • 勇気を出して一歩踏み出せば、せっかくの施設を存分に楽しめる

まとめ

  • 荷物:ピーチは厳格、カタールは緩い。空港ごとの運用差に注意。
  • ラウンジ:混雑前提の情報に惑わされず、まずは実際に行ってみる。
  • ホテルSPA:情報不足で諦めるのはもったいない。スタッフに聞けば簡単に利用できる。

👉 ネットやAIで調べた情報と、実際に現地で体験したことにはギャップがある。
少しの勇気と現地での確認で、旅はもっと快適で楽しくなる。


追加Tips(おまけ):持っていくと便利なもの

海外に限らず、ホテル泊やキャンプでも役立つのがこの小型ライトです。
👉 Amazon商品リンク

  • ホテルの部屋はライトの位置が絶妙に不便なことが多い。
  • 「全部消えて真っ暗」か「明るすぎる」かの両極端。
  • このライトなら、足元だけをやさしく照らせる
  • フォーカスが綺麗なので、寝るときもまったく邪魔にならない。
  • 使えるシーン
  •  飛行機の中で荷物を探すとき
  •  夜の街歩き
  •  キャンプやホテルでのテーブル照明

→ 小さいけれど、一つ持っていくと安心感がかなり違います。

カテゴリー: ZAKKI | コメントする

株式投資は“余剰資金”で──その言葉の本当の意味を考える


はじめに:「余剰資金で投資しましょう」の違和感

投資に関するアドバイスで、よく聞く言葉があります。
「余剰資金で投資しましょう」。

でも、その“余剰資金”って、どんなお金のことでしょうか?
使いみちのない「余ったお金」でしょうか?
そんなお金を持っている、一部の恵まれた人だけが株式投資をするべきなのでしょうか?

もしそうだとしたら──NISAは誰のためにあるのでしょう?

私たちはこれから、どうやって自分の資産を守り、育てていけばよいのでしょうか?
お金を“死に金”にせず、働かせて、社会にも貢献させるにはどうすればいいのか?

「余剰資金」の意味を誤解したまま投資を始めてしまえば、
投資と投棄の境界が曖昧になり、結果的に損をしてしまうかもしれません。

それはとても、悲しいことです。

失ってもいいお金なんて、本当は存在しません。
なぜなら、お金とは単なる紙や数字ではなく、
あなた自身がこれまで積み上げてきた価値そのものだからです。


1. 「余剰資金で投資しましょう」の違和感

「株式投資は余剰資金でやりましょう」
投資に関する情報に少しでも触れたことがあれば、一度は目にするアドバイスです。

でも正直に言えば、私はこの言葉にどこかモヤモヤした違和感を抱いていました。
そもそも「余剰資金」って、そんなにある人ばかりなのでしょうか?
日々の生活で精一杯で、貯金も思うようにできない。
そんな状況で、「投資は余剰資金で」なんて言われたら、最初から自分には関係ないものだと感じてしまいます。

でも、投資を始めた今だからこそ思うのです。
この「余剰資金」という言葉には、正しく理解しないと逆に損をする危うさがあるのではないかと。


2. 「余剰資金」の誤解──それは“捨て金”ではない

「投資は余剰資金でやりましょう」──
この言葉を初めて見聞きしたとき、私はこう思いました。

「余ったお金なんて、ウチにはないけどな…」

多くの人がそう感じるのではないでしょうか?
日々の生活費、急な出費に備えた予備費、老後資金や教育費…。
どれも“いつかは使う”お金であり、“余っているお金”ではありません。

それでも投資を始めてみようと思った私は、「とりあえず失っても困らない範囲でやってみよう」と考えて、少額から株式投資を始めました。

ところが、株価というものは、思ったよりも簡単に下がります。
ある銘柄が一時的に値下がりして、含み益が減ったり、含み損が出たりする──
そういう経験を何度か繰り返す中で、私はようやく「余剰資金の本当の意味」に気づくことになります。

💡 余剰資金とは、「待てるお金」「揺らがないお金」

私が感じた“本当の余剰資金”の定義はこうです。

たとえ株価が一時的に下がっても、慌てて売らずに、 いずれはプラスになると信じて持ち続けられるお金。

つまり、“余剰”とは「余った」という意味ではなく、
「今すぐ必要ではなく、将来のために待てるお金」「目先の変動で判断を狂わせないお金」ということです。

これは単なる金額の話ではありません。
時間と気持ちの余裕があることが、最も大事な要素なのだと痛感しました。

❌ 「失ってもいいお金」なんて存在しない

よく見かける投資アドバイスの中に、「最悪ゼロになってもいいお金でやりましょう」というものがあります。
この言葉は一見正しく聞こえますが、私は強く疑問を感じます。

失ってもいいお金って、そもそもそんなものが本当にあるでしょうか?

私はそうは思いません。
お金というのは、すべて自分の人生の時間や努力の結果です。
それを「無くなってもいい」と思って投げ入れること自体、どこか自分の人生を軽く見ているような感覚すらあります。

✅ 私が意識している“余剰資金”の条件

実際に投資を始めてから、私は以下のようなことを自分の中で明確にするようになりました。

  • 今すぐ生活に必要ではない(使う予定が半年以上ない)
  • 緊急時のための貯金は別に確保してある
  • 価格が下がっても、「すぐに現金化しなければ」とは思わない
  • 含み損が出ても、「まぁ数年放っておこう」と思える
  • 給与が安定していて、すぐ使わなくても不安がない

こういう条件をクリアできるお金を「余剰資金」として使うようにしています。

📉 株価が下がった時に試されるのは“金額”ではなく“姿勢”

一時的に含み損になることは、投資をしていれば避けられません。
でも、そのときにどう感じるか、どう判断するかは、そのお金の“性質”によって決まるのだと実感しました。

  • 「あぁ下がった…でもすぐに使うお金じゃないし、待とう」と思えるか
  • 「どうしよう! もう損する前に売った方がいいかも…」と焦るか

この違いは、金額ではなく、自分がそのお金をどんな前提で投資に回しているかで生まれます。
つまり、「余剰資金の定義」が、あなたの行動を決めるのです。

🔁 「余剰資金」とは、損しないための“前提条件”

今の私は、「株で損をしないためには、何を買うかより前に、どんなお金で買うかを考えることが重要だ」と思うようになりました。

その意味で、余剰資金とは、損をしないための“最初の装備”のようなものです。
装備が不十分だと、どんなに良い銘柄を選んでも、不意の下落で逃げ出してしまう。
でも、装備がしっかりしていれば、多少の波ではブレずに進める。

📌 まとめ:余剰資金とは「信じて持ち続けられるお金」

余剰資金とは、“雑に使ってもいいお金”ではありません。
それは、未来を信じて、落ち着いて待ち続けられるお金
つまり、「何があっても自分を慌てさせない」という前提で設計されたお金です。

これに気づけたことが、私にとって、投資を始めて最も大きな学びでした。
そして今では、「損をしない投資」とは、銘柄選びの前に、この“余剰資金の考え方”に尽きるとさえ思っています。


3. 損を覚悟しても、損を前提にしない株式投資

投資を始める前、私は「投資=損をする可能性がある」「運が良ければ儲かる」くらいの認識でした。
だから、「ある程度は損しても仕方ない」「ゼロになってもいいお金で」と言われると、逆に納得してしまったんです。

でも、本当にそれでいいのでしょうか?

投資で損をするのは一時的な出来事かもしれません。
けれど、「損をしてもいい」という気持ちで投資を始めてしまうと、判断も行動も雑になりやすいと実感しました。

「どうすれば損をしないで済むのか」「減ったときにどう動くべきか」
そういう視点を持つようになったとき、私はようやく“投資を始めた”といえるのかもしれません。


4. 投資と運用の違い──あなたはどちらを目指しますか?

投資とひとことで言っても、目的は人それぞれです。

  • 資産を「増やす」ため
  • 資産を「守る」ため

目的によって、“余剰資金”の捉え方も変わってきます。

私は「守る」側の感覚で投資を始めました。
だからこそ、損を前提にせず、焦らずに長期で育てられるお金であることが最優先でした。


5. 投資をしないという選択──それでもリスクは避けられない

「投資は怖いからやらない」
かつての私も、そう思っていました。

けれど今は、「投資をしないこともリスクである」という現実を知りました。
特に、インフレ超低金利の時代において、現金を持っているだけでは資産は実質的に減っていく一方です。

もはや、「投資を知らなくてもいい」ではなく、「知らないと損をする」時代なのかもしれません。


6. みんながやってるから?──“なんとなくNISA”が生む投棄

最近ではNISAを始める人が増え、証券口座を持つのも当たり前のようになってきました。
それ自体は良いことですが、“なんとなくNISA”の危うさも感じています。

「みんながやっているから」「S&P500が人気らしいから」
そんな理由だけで始めてしまうと、一時的な下落で不安になり、結局やめてしまうという結果になりかねません。

投資は、銘柄よりも先に「自分がなぜやるのか」を決めることが大切だと思います。
そこがブレると、どんな優れた商品でも長くは続きません。


7. 価値は保存される

株式投資をしていると、日々の株価が気になります。
含み益が増えたり、逆に元本を割り込んで含み損になったり、心が浮き沈みしやすくなるのは、誰しも同じです。

でも私は、投資を続ける中で、こう考えるようになりました。

「株価が下がった=価値が下がった」ではない。

もちろん、企業の業績が大きく悪化しているなら話は別です。
でも、そうでないなら、株価の下落はあくまで「一時的な市場の評価のブレ」に過ぎません。

企業そのものの価値が維持されていると信じられるのであれば、
その株を「自分の資産として持ち続ける」という選択も、自然とできるようになります。

この「価値」と「価格」の違いを冷静に見られるようになったのは、
やはり**“余剰資金で投資している”という前提があるからこそ**だと思います。


逆に言えば、自分が信じていた企業の価値そのものが崩れたと感じたとき──
たとえばビジネスモデルの根本的な失敗や、回復困難な業績不振など──
その時は、迷わず手放す判断も必要です。

「価格」ではなく「価値」で判断できるようになる。
それが、余剰資金で投資することの最大のメリットの一つだと、今は感じています。

8. おわりに:あなたのお金は、あなたの人生の一部

今、私はようやく「お金はただの数字ではない」と思えるようになってきました。
それは、自分の時間・努力・人生の積み重ねそのものです。

だからこそ、「余剰資金」という言葉を軽く扱ってはいけない。
それは「雑に使ってもいいお金」ではなく、「丁寧に働かせることができるお金」だと今は思っています。

投資とは、自分の価値観と向き合い、未来をどう生きたいかを考えるきっかけになるもの。
そういう目線から、私はこれからも「損をしない投資」を目指していきたいと思っています。
投資とは、利益を得るための行為であると同時に、自分自身の判断力と価値観を試す、静かな対話でもあるのかもしれません。

カテゴリー: ZAKKI | 株式投資は“余剰資金”で──その言葉の本当の意味を考える はコメントを受け付けていません

利確したくなるときこそ、自分の目的を見直すタイミング


投資とは「稼ぐ力」を育て、社会に活かす行為

投資というと、株式や投資信託といった金融商品を思い浮かべがちですが、私はもっと広く捉えています。
たとえば、自分のスキルを磨くことや健康を保つことも投資の一種だと思っています。

共通しているのは、「未来の価値を育てる」という視点です。
お金であれ能力であれ、それを通じて自分自身の可能性や社会的な貢献を広げていく。そうした投資は、単なる“お金儲け”とは違う豊かさをもたらしてくれます。


利益が出ると、なぜか“売りたくなる”心理

とはいえ、投資をしていて少し利益が出てくると「今のうちに利確しておきたい」と感じること、ありますよね。
人間の自然な心理でもありますし、誰が悪いという話ではありません。

でもここで、私はふと思うのです。

積立NISAなどの長期投資は、「時間を味方につけて育てる」ことを前提としているのでは?

それなのに、ちょっと含み益が出た時点で売ってしまうのは、果実が実る前に木を切ってしまうような行動かもしれません。


目的がある利確はOK。でも、目的はあるか?

もちろん、「〇〇に使いたいから一部売却する」というのは良い判断だと思います。
目標があって、それを実現するための資金として投資を活用するのなら、それはむしろ理想的です。

一方で、**「なんとなく下がりそうだから売っておこう」「利益が減るのが怖い」**という理由だけで利確する場合、少し立ち止まって考えてもいいのではないでしょうか。


自分の能力を「利確」してしまうことに置き換えてみると…

このことを、自己投資やスキルの話に置き換えてみると、よりリアルに感じられます。

たとえば、70歳になっても自分の能力を活かして、社会とつながりながら楽しく仕事をしている人がいたとします。
それなのに、「もう稼げるようになったから、この能力を手放して、あとはのんびり過ごすだけにしよう」と言い出したら、どう感じるでしょうか。

もちろん「新しくやりたいことがある」なら、それは素晴らしい。
けれど、明確な目的もなく、せっかくの能力や経験を途中で手放してしまうのは、少しもったいない気もします。


投資は、価値を“活かし続ける”力

私にとって、投資の本質とは「価値を持ち続けること」ではなく「価値を活かし続けること」です。

それが金融資産であっても、技術や人脈であっても、自分自身がどう活かし、どう関わり続けるかが大事なんだと思います。

だからこそ、利確したくなったときにはこう問いかけたいのです。

「それは本当に、自分の目的に沿った行動だろうか?」
「自分が投資によって得ようとしていたものは何だったのか?」

焦る必要はありません。
その瞬間に売るかどうかよりも、自分の価値観に沿った投資を続けられるかどうか――
それが長い目で見て、もっとも大きな“リターン”につながるのではないかと思います。

カテゴリー: ZAKKI | 利確したくなるときこそ、自分の目的を見直すタイミング はコメントを受け付けていません

『信じたい未来に投資する』――投資という社会貢献、人類の未来を信じて

(後編)「信じたい未来に投資する」という視点で見直す、新しいポートフォリオの形

▶ 江守哲さんの思想に触れて

江守さんの発信は、表面的には「投資術」のように見えることもありますが、その根底には一貫した思想が流れていると私は感じます。

「国際社会はどこへ向かうのか?」「通貨とは何か?」「我々はどんな世界を信じて、そこにお金を置くのか?」

それらを直接語ることはなくとも、江守さんの語るポートフォリオには、そうした問いに対する“静かな答え”がにじんでいます。

私がこのブログで描いたような、米国とインドの統合、通貨の進化、新しい世界秩序への希望──それらと重なる部分は、江守さんの『新NISA 2.0』にも随所に見られました。

▶ 新NISA 2.0ポートフォリオの深み

『新NISA 2.0』における基本ポートフォリオは、コア(オルカンまたはS&P500)25%、インド株25%、AI関連やテーマ株25%、そして現金+ゴールドで25%という、バランスの取れた構成です(合計100%)。

その中でゴールドの比率は15%程度とされていますが、江守さん自身の最近の発言では、ゴールド比率をさらに高めても良いとの見解も示されています。

この構成は、単なるリスク分散にとどまらず、「複数の未来に対応できる構え」を意識したものに思えます。
特にインド株の重視は、成長期待だけでなく、世界経済の重心が移っていく可能性を見据えた動きと感じます。

▶ 私自身の見直しと投資方針

江守さんのこうした構成を参考にしながら、私自身も「守り」と「柔軟性」の両方を意識したポートフォリオを目指すようになりました。

たとえば、株式とゴールドの比率を意識的に調整したり、時には現金比率を高めてリスクに備えたりすることも、単なる市場の動きへの反応ではなく、「どういう未来を信じているか」という視点に立って決めています。

株式部分の中では、コアを中心としつつも、インド株や個別銘柄も状況に応じて組み入れています。
もちろん、その配分をどう変化させていくかは、米国中心の構成からインドへシフトしていくべきか──という問いとも関係しています。

そうした問いには、今後も継続して向き合っていきたいと考えています。

▶ 江守さんの情報との向き合い方

ときに江守さんのYouTubeのコメント欄には、「言っていることが変わった」「ゴールドを売ったと言っていたのに買っている」など、表面上の矛盾を指摘する声も見られます。

しかし、江守さんはプロの投資家です。日々の相場に応じて短期と長期を使い分けるのは当然のことですし、戦略の柔軟性はむしろ彼の強みでもあります。

その高度な投資技術は、決して表面的に真似できるものではありません。そこに手を出すかどうかは、講座などで本質に触れるか、自分の守備範囲を守るか──選ぶべきなのです。

ただし、江守さんの書籍『新NISA 2.0』を読めば、そうした「プロでない私たちでもできること」が明確に示されています。

難しいことをしなくても、自分の資産をどう未来につなげたいのか、その指針を見出すには十分な内容が詰まっている。
そこに、私たち素人なりの一歩があるのだと思います。

▶ 結びに代えて

この時代、過去の延長では説明できない動きが多くなってきています。
歴史は繰り返す──でも同時に、人類は進化する。

誰かが用意したストーリーではなく、自分の中で信じられるストーリーを持つこと。
それが、これからの投資において最も大切なことかもしれません。

未来は、いつだって「選ばれた側」ではなく「選んだ側」に開かれるのだと信じて。

カテゴリー: ZAKKI | 『信じたい未来に投資する』――投資という社会貢献、人類の未来を信じて はコメントを受け付けていません

『信じたい未来に投資する』――投資という社会貢献、人類の未来を信じて


(前編)ドルでもルピーでもない未来へ~米印統合という希望、通貨の進化を見つめて

▶ はじめに

最近、投資とは何かを考え直す時期に来ていると感じます。最初の判断、最新のニュース、市況のアップダウンに振り回されるのではなく、もっと長い視点、もっと大きなビジョンで「未来を選ぶ」ための投資をしたい。

そう考えていたところ、江守哲さんの『新NISA 2.0』に出会いました。
その内容は「NISAの説明書」のような形ですが、読めば読むほど、そこには投資を通じて未来を考えるヒントが込められていると感じました。

このブログは、その江守さんの考えに刺激を受け、私が既に考えていたこと、感じていたことをわかりやすく並べるような「こういう発想もありだよね」という記事です。

▶ 米国とインドは兄弟圏になりうるか?

ひとつのきっかけは「コロンブスの誤解」にありました。「ここはインドだ!」と言った場所は実際にはアメリカ大陸。しかしその勘違いが、結果としてアメリカ先住民を「インディアン」と呼ぶことにつながりました。

500年後、その本物のインドと米国が、正式に同盟関係を深めているのは、歴史の流れの中でとても興味深い出来事です。

米国とインドは、自由主義、法の支配、英語話者の多さなど、基本的な価値観を共有しています。血のつながりではなく、信頼によって築かれてきた関係であり、グローバルパートナーとしての親和性が高いのです。

今では「戦略的な利害関係」を超えて、「互いの未来を支え合う」兄弟のような関係に進化しつつあるように感じます。

▶ インドの特異性

インドは、多くの民族や文化、言語が集まる非常に多様な国ですが、民主主義の基盤と、言論の自由を守る政治体制がしっかりと機能しているため、米国との協力に適した素地を持っています。

活気あるIT人材も多く、その多くが米国のテック企業で活躍していることは、単なる人材輸出を超えて「共に成長できるパートナー」として見られている証拠だと思います。

▶ 通貨の未来について

ゴールドの価値が上昇し続けている今、BRICS諸国が構想する新しい通貨や、既存のドルに代わる仕組みについても注目が集まっています。

とはいえ、ドルに「対抗」するような通貨をつくろうとするBRICSの動きには、多少の政治的な駆け引きを感じます。一方で、もし米国とインドという世界でも存在感のある二大国家が、「ドルからの進化形」として新たな通貨を構築するのであれば、それは対立ではなく移行であり、現実的かつ希望のある構想になるのではないかと思います。

▶ 投資は未来を選ぶこと

時に世界は分裂へ向かっているようにも見えます。
しかし気がつけば、私たち一人ひとりが未来を選ぶ「言葉」や「行動」、そして「投資」は、すでに社会の進む方向をつくりはじめています。

江守さんの語る未来、そして私が感じていることは、「未来は対立ではなく、共存や統合に向かうべきだ」という信念です。

投資とは、ただ利益を求めるものではなく、「信じたい未来への参加表明」なのだと思います。

後編では、江守さんのポートフォリオを参考に、その思想の具体的な中身をさらに深くひもといていきます。

カテゴリー: ZAKKI | 『信じたい未来に投資する』――投資という社会貢献、人類の未来を信じて はコメントを受け付けていません

iPhone のチャージをしながら、資産について考えてみた

iPhoneを毎日チャージして、また使って、また充電して……やがてバッテリーは劣化して交換される。一見すると虚しい繰り返しのようにも思えます。

けれど、私たちは“iPhoneを維持するため”に充電しているわけではありません。iPhoneに役立ってもらうためにチャージしているんですよね。

そのチャージ方法も、自宅のコンセントだけでなく、モバイルバッテリーだったり、キャンプ場ではポータブル電源を使ったりと様々。そんなことを考えていたら、「これって資産管理に似ているのでは?」と思い至りました。


資産の4分類を、蓄電池で見てみる

資産カテゴリバッテリー比喩価値保存性自己発電性流動性一般的安心感実質的安心感
タンス預金アルカリ乾電池×××
銀行預金小型充電池
投資全般ソーラー+蓄電システム△〜◎×△〜◎
ゴールドポータブル電源(リン酸鉄)××

価値保存性:放っておいても減らないか?

タンス預金は減らないように見えて、インフレによって静かに目減りします。銀行預金も同様です。ゴールドは増えませんが、物価が上がっても相対的に価値を保ちやすく、保存性能は極めて高いといえます。

つまり、「保存性」とは、単に“金庫に入っている”ことではなく、“安心して放置できる力”のことです。


自己発電性:資産が勝手に増えるか?

株式や投資信託などの投資には“自己発電性”があります。企業が価値を創造すれば、それがリターンとなって資産を増やします。

銀行預金もわずかながら金利がありますが、インフレ率を上回ることはほぼありません。

ゴールドは増えませんが、「減らさない」という意味で独自の立ち位置にあります。


流動性:必要なとき、すぐ使えるか?

現金や銀行預金は、すぐに使えるという点で圧倒的に流動性が高いです。これは「生活費」や「緊急支出」にとって重要な性能です。

投資やゴールドも換金は可能ですが、タイムラグや価格変動があるため、日常用途には向きません。

「今」使う資産と「将来」使う資産を分けて持つことが重要です。


安心感の誤解と“タンスゴールド”という冗談

日本人は「目に見えるお金」に安心感を抱きがちです。タンスに現金があると安心する、という感覚は根深いものがあります。

しかし、目減りする現金を長期で保有することは、実はもっとも“安心から遠い”行為かもしれません。

ある人が言っていました。

「これからの時代は、タンス預金じゃなくて、タンスゴールドだよ」

最初は冗談かと思いましたが、よく考えると納得がいきます。見える安心ではなく、減らない安心が求められる時代です。


最後に:私たちは資産を“増やす”ために生きているのか?

私はこう考えています。

人は自ら働き、社会に貢献することで価値を生み出す存在です。資産運用は、その得られた価値を“有効に使う”ための技術にすぎません。

財布の中身が増えることよりも、自分の人生が豊かになることのほうが大事。資産とは、人生を動かすための“蓄電池”なのです。


実践への提案:3つの資産を役割で使い分ける

目的推奨資産理由
日常支出銀行預金流動性最優先
中期備え投資成長と発電性を活用
長期保存ゴールド減らないことに特化

資産を分けて持ち、役割を決めて、必要に応じて見直す。
それがインフレ時代を乗り越える、賢いチャージ設計なのかもしれません。

カテゴリー: ZAKKI | iPhone のチャージをしながら、資産について考えてみた はコメントを受け付けていません

金は天下の回りもの。r > gが生み出す血流障害。

生前贈与とDie With Zeroが促す、資本と信頼の血流改善


回らなくなった“金”という血液

かつて「金は天下の回りもの」と言われていた。でも、現代社会の中でその金はどこを回っているのだろう。働く人には残らず、資産を持つ人に集まり続ける。社会全体が血流障害を起こしているように感じられる。


r > g:労働が報われない社会の病理

ピケティの言う「r > g」(資本収益率 > 経済成長率)とは、働いて得るより、持つだけで増えるという社会構造の指摘である。これが続くなら、労働は振り込みになるだけで、格差は治らない。資本家はリスクを取っているとも言われるが、本来のリスクとは何か?を考える必要がある。


投資とは役立つ未来を信じて課すこと

投資の本質は「年利を貰う」ことではなく、「誰かの挑戦や社会を支える」ことだと思う。数値的な利益より、信頼や共感の形で金を課す。それは、いわば「静かで長い拍手」のような行為ではないだろうか。


現代投資のずれ:「応援」の意味の希薄化

現在の投資は、「何に資金を課しているか」が見えなくなっている。利回りだけが重視され、投資が「グラフ」や「数字」の世界に折りたためられる。その結果、投資が「関係性」を失い、「投棄」へとすり替わりつつあるのではないか。


Die With Zeroの思想:金を残すなら、経験を

『Die With Zero』は、金を増やすのではなく、経験に変えることに重を置く思想だ。最も意味ある時期に、最も意味ある人に、最も意味ある形で資産を流す。それは、死後の相続より、生前贈与に意味があることを示している。


生前贈与の形は、信頼の形

親から子への生前贈与は、ただの金銭移転ではない。「信じてるから課す」、「事成を見守る」という、たくさんの無言のメッセージを含んでいる。これは、「視える相続」としての新しい形でもある。


相続は、すでに形骸化しつつある

死後に資産を残すという、かつては当然とされていた発想も、今では時代とズレ始めている。資産を保有し続けることが「万が一のために」と眠ったままになり、誰にも活用されずに死に金となることは、ささやかな自由のようで、実は社会に大きな阻害を残している。
私自身、”Just In Case” と言いながら捨てられないモノが増えているタイプなので、あまり偉そうなことは言えないのですが、
「使うつもりで持つ」ことと「使わずに残る」ことの違いは、思った以上に大きいのかもしれません。


r = g を想像する:投資も労働も社会参加

r = g(資本収益率 = 経済成長率)の社会を想像することは、資本から得られる利益と、働いて得る所得の伸びが等しくなる社会を思い描くことだ。それは、資産を持つことが特別な優位性にならず、投資と労働の両方がフェアな選択肢になるということを意味する。

このとき、投資は「何もしなくても増える仕組み」ではなく、社会に関わる一つの参加手段として位置づけ直される。投資も労働も、それぞれが異なるアプローチで社会に貢献するものとして、対等な役割を果たすことができる。

この「並列」の意識が定着すれば、「稼ぎ方」や「生き方」そのものに多様性と尊厳が生まれる。投資家は未来に託し、労働者は現場で支え、その両方が対話しながら社会を形づくっていく。

r = g の社会とは、単なる経済指標の一致ではなく、「どう生きて、どう参加するか」が問われる成熟した社会のかたちなのかもしれない。


お金と信頼がめぐる社会へ

私たちの社会における金の流れを、人間の血流になぞらえて考えてみると、その重要性がよりはっきりと見えてきます。健康な身体には、栄養と酸素を届けるスムーズな血流が必要であるように、健やかな社会には、信頼と共感に基づいた資金の循環が不可欠です。滞った血流が病をもたらすように、止まったお金は経済や関係性を蝕んでしまう。

投資、労働、家族の支え、社会貢献──それぞれの行為は本来、異なるようでいて根っこではつながっている。どれも「誰かや社会に関わりたい」という気持ちから生まれるものだからだ。

r > g の構造をただ批判するのではなく、r = g の世界を想像してみること。それは、金の流れのあり方だけでなく、人と人との信頼の循環のかたちを見つめ直すことにもつながる。

お金、労働、家族、未来──それぞれの「あるべき姿」を見つめ直しながら、よりバランスの取れた、健やかな社会を築いていけたらと思う。金を回すというのは、不動の仕組みではなく、人間の活動そのものに近い。信頼によって金が流れば、金は生きた形で社会を駆動させる。そこには「手放しで増やす」という発想はなく、誰に資源を課すか、というわずかな視線があるだけでも社会は広がりを持てる。

カテゴリー: ZAKKI | 金は天下の回りもの。r > gが生み出す血流障害。 はコメントを受け付けていません