生徒諸君

今、生徒諸君というドラマをやっている。
ある事件がきっかけで殻に閉じこもってしまった子供達の心を、
先生が解放していくというようなものだが、
そこに立ちはだかる問題は、生徒自身の心の問題だけでなく
学校側や本来その教師と同じ立場に立つか、教師のしていることに
理解を示しても不思議ではないはずの人たちの大人の理屈というものがある。
学校はともかく、親は子供を守ろうという本能から教師とは逆の行動に出る。
「その事件」は既に起こってしまった事であり、子供達の心に大きな影響を
与えてしまったものなのだ。
簡単に言ってしまえば、教師はそれを「乗り越えさせよう」としているのであり、
親は「忘れさせよう」としている事になる。
冷静に考えればどちらが正解かは明白だと思うが、
「子供を守る」という立場になったときに、冷静な判断を失ってしまうものなのかもしれない。
これはドラマであり、原作は漫画だという事だし、その事件にしても、
登場人物の行動、考え方にしてもかなりデフォルメされているのだが、
最近のみかこさんを見ていると、どうしてもこのドラマがだぶってくる。
単にピアノという事だけでなく、ピアノを通して音楽とふれあい、
また、発表会や、グループレッスンを通して、教室の仲間との関係を考え、
将来、ピアニストになるとかピアノ関係の大学に進むとかといった事とは
関係なく、もっと総合的にピアノを習うという事がその人の人生にプラスに
なればと孤軍奮闘しているみかこさんに同調する人も多いが、
立ちはだかる壁もまた多いようだ。
「事なかれ主義」と言えば、極端かもしれないが、単にベルトコンベア式に
ピアノの技術だけを教えていれば起きない摩擦も、より深く思う事で生じてしまうのかもしれない。
それにしても、先日の生徒さんのお父さんの発言には驚いた。
生徒さんやそれを見に来てくれるご両親達の為に、なんとか内容のある発表会に
しようとがんばっているみかこさんに対して、
「発表会というのは子供達が順番に舞台に上がって演奏して引っ込むというパターンが
 普通なのに、先生はいろいろやりすぎだ。発表会は子供達のものなのに、
 まるで先生の為の発表会の様に見える。」
というのだ。先生が演奏することも、ドレスを着ることも、集合写真で中心に座る事も、
その人にとってはおかしなものらしい。
もちろんそのお父さんは誤解をしていると思うのだが、
上に書いたように、その生徒さんは「ある事件」のような深刻な問題では無いが
今、ある選択をしなければならない状態で悩んでいる為、
「子供守る」ことに精一杯になってしまっている状態だったので、
そういう言葉が出てきたとも思える。
みかこさんがその時していたように、一生懸命説明して誤解を解いていくしか
無いのだろう。
先生がドレスを着るようになって、発表会が華やかになり、楽しくなり、
そして、子供達も可愛い服を着て出るようになってきた。
それまでは、ジャージで発表会に出る生徒さんも居たほどだったのだが、
ジャージの発表会と子供達が可愛い服を着て楽しそうにしている発表会とどちらが良いだろうか。
子供達が、機械的に次々に出ては消えていく、全体としてあまり統一感の無い発表会と、
ピアノもあれば、エレクトーンもあり、ハンドベルもあればコーラスもある、
そういう発表会とどちらが楽しいだろうか。
何より、生徒さんが、他の生徒さんの演奏を聴くようになってきたという事実もある。
他人の演奏を聴き、そこから何かを学び取っていくという事はとても大切だ。
それはもう一つ、そのことで、自分の演奏を客観的に聴く事もできるようになるからでもある。
これがどれだけ大切かについて書くとめちゃくちゃ長くなりそうだが。
あまりいろいろ書くとみかこさんに怒られてしまいそうなので、やめておくが、
発表会というもの、教室を育てる、生徒を育てるという事。
私の様に舞台裏から見なければ見えてこない、いろいろな事が
世の中には沢山あるのだろうなと思う。
時々はそういう事の説明をして理解を得る事や、
また、自分が逆の立場になった時、相手の舞台裏をちょっと想像してみる事も
大切なのかもしれないと思った。
何事も一方通行は良くないな。

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生徒諸君 への3件のフィードバック

  1. しん のコメント:

     余市のはじめさん、ご無沙汰しています。久しぶりに覗いてみたら熱い文章ですね。昔と変わらない気質(一生変わらない?)がかいま見られ、楽しませてもらいました。
     去年の春テレビを見ていたら雷に打たれたように卓球熱が復活。高校卒業後、年に何回かお遊びでピンポンしていましたが、本気モードに突入しました。当時と違うのは動画を利用できるということ。「百聞は一見に如かず」で実際のプレーを見るのと、雑誌などで連続写真で頭の中で造形化するのでは大違いです。それもネットで落とせたりDVDが発売されていて、嬉々として収拾していますよ。基本的にTVを見ない人で無くても困らなかったのですが、最近揃えました。40インチの液晶とHDレコーダーとCSアンテナ。全部卓球専用です(4畳の部屋に設置しているのは悲しい)。凝るとお互い止まらない性格ですねー。また、週に2回は個人レッスンを受講しています(しのばず池のそば他)。そこでは卓球を学ぶことはもとより、教わる体験がいい勉強になっています。受け手に立たなければ見えない教える側の姿が見えてきます。いろんなコーチ、年少は大学生から老若男女、外国籍の方もいて教え方も様々。
    ・自分が教わった事柄を伝えるだけ(伝道型)
    ・欠点を指摘するだけ(批評型)
    ・良き型を身につけるための方法を探索までする(指導型)
    ・相手の卓球に対する要求を分析しサービスする(おもてなし型) など
     ちょっと引いてしまうのは卓球を通じて人生を語るタイプ。選手としてコーチとして成功したのだから、卓球に対して有りがたさを感じ自負するのはわかりますが、こっちは健康のため運動しなきゃとか、ちょっとうまくなりたいとか、趣味の一つでもと軽い気持ち(プロから見て)。熱心でまじめな教え方には尊敬しますけれど、何か負担が過ぎるのね。そういえば自分も勉強を通じて子供たちの人格形成し、人生を切り開き、ひいては人類など世界全体の幸福ビジョンを描いていたこともあったっけ。人のことをとやかく言えませんね。しかし今は最高のサービスを与えるプロとして、受け手の要求やペースや吸収力を総合的に見ているつもりです。あと本音を交えるとお金を出すのは親だから、子供だけの満足だけではなく親の視線も観察していなければだめね、商売としては。
     さて、発表会でいちゃもんをつけた父親に関しては勝手に想像してみると、単に余計な出費をしたくないだけかなー。会費、衣装代、食事代などかかりそうー。そうは認めたくないから「先生の自己マンですよ」って。こっちもいろいろな本業以外行事(お食事会、お祝い会、見学会、スポーツ大会、一斉テスト)なども企画しますが、基本的には全て無料にしています。交通費とか食事、飲み物を含めて。少しでも徴収すると「勉強以外のことは必要有りません」って非難。ただにすると「勉強以外でも面倒見てくれるいい先生」そういう親ってどこにでもいる気がします。もちろん発表会と意味合いは違いますがね。
     ずれますが「守る」ということもいろいろ考えさせられます。現代の親の子育てに対する傾向、叱れない無菌の箱庭に閉塞してしまうなど。少子化やら親の孤立化などで誇大妄想的、神経症的に慎重になるのは分かりますがね。万に一つに危険を感じたら遠ざけるのは防衛本能ですか?やはりビクビク育てている子供はビクビクした気質になるような気がします。3番目くらいの子供だと適度に放っておかれてバランスとれていると思います。私たちの世代は親にひまが無く無干渉でした?
     まーそんなところで、勘違いコメントですいません。やっぱ面と向かって唾液掛け合いながら、語りあいたいものですね。
     季節柄ご自愛を。みかこさんもお母様も。

  2. はじめ のコメント:

    (^o^) そういえば、ここにもプロの教師が居ましたね。
    まじめなコメントありがとうございます。
    今回のケースに当てはまらないところも多いですが、一般論としては、私もほぼ同感といったところです。
    経済的な問題に関しても、今はそういう親も多いでしょうね。
    大人も子供も「金」に振り回されてしまっている様に感じます。
    「将来何になりたい?」「本当は○○になりたいけど、それは儲からないから、□□になりたい」とか…
    たいした収入も得られないのに、好きでこの仕事を続けて、1日中PCの前に座っている私って何なのでしょう?って思っちゃいますよ。
    かと思うと、えっ?と思うようなところに無駄遣いとも思えるお金を使っていたりね。「経験に投資をする」「才能に投資をする」「自己の能力を延ばす事に投資をする」といった考えをどこかへ追いやってしまったのは、結果を急ぎすぎる性急な世の中だからでしょうかね。
    ま、政治でも学校の先生でも親と子の関係でも、悪い方へ気が行ってしまいますが、実際ちゃんとされている方も多いし、全方向完璧なんて人は滅多に居るものでもないし、人の振り見て我が振り直せって感じです。
    いずれにしても、大事なのは双方向コミュニケーションでしょう。インターネットに、携帯にメールにと情報インフラが発達してきてはいますが、まだまだそれが効果的に使われているとは言い難い。選挙カーの様な一方通行のコミュニケーションをしているようでは、ダメダメでしょうね。

  3. はじめ のコメント:

    そうそう、私の親が私に無干渉だったか?ですが、NOです。
    むしろ今の方が、親が生活で精一杯で無干渉なのではないかと感じます。
    子供に本気で関わる余裕が無いから、中途半端に関わって、親子ではなくお友達になっちゃったり、子供を躾けたり叱ったりではなく、守っってしまうのではないかなぁ。
    いわゆるネコかわいがりってやつでしょうかね。
    私が子供の頃は良く叱られました。押し入れに閉じこめられるなんて週1くらいあったし、家から閉め出される何てこともしょっちゅう。自分の親だけでなく、先生や友達の親にもね。
    悪いことを悪いと叱ってくれる人たちだったからこそ、信じられましたよ。
    それと、適度に放っておくというのはこれは結構大変な事で、孫悟空と釈迦の手の関係かと思いますが、放任というよりむしろ逆な気がしますね。そういう芸当ができる人が減ってきたのでしょう。

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