スーパーの買い物の仕方で見る株式投資のセンス

世間一般の考えではないかもしれないし、もしかしたら大いに間違っているかもしれないけど、自分の感覚では、株式投資とスーパーの買物とは案外似ているのではないかと思う

価値を知る

それが安いかどうか、買うべきかどうかは、それを欲しいかどうかの前に、それの本当の価値を知っている必要がある。価値がわかってこその、適正価格である。つまり自分の生活にまったく関係なく、価値の判断もできないようなものは、他人が安い安いと言って買っていたとしても買うべきではないのだ。誰がどういおうと、買うのは自分だし、自分に責任がある。買った後に値下がった時に、自分で価値を判断した結果であれば、再び上がるのを待てるが、他人に振り回された買ったのであれば、他人のせいにして捨ててしまうかもしれない。捨てないにしても後悔はするだろう。

安い時に買う

価値を知った上で、適正だと思える価格で買うというのは正しい買い物だろう。しかし、できれば、何らかの理由、割引セールとかで、自分が想定している価値より安い時に買えるとかなりお得感がある。自分が 1,000円が適正だと思うものが、800円で売ってたら、そりゃ買うよね。ただ、食べ物とかだったら、いくら安くても自分が食べたくないものは買わないけど、株の場合は、それが好きかどうかは関係なく、適正よりやすければ買いだ。ま、適正かどうかを判断できるのは、好きなものだけかもしれませんが。

割引を狙う

スーパーも夕飯の買い物のピークを過ぎると、そこから閉店までの間、割引シールの時間になることが多い。例えば、寿司コーナー。スーパーとしては売り切ってしまいたいので、10%, 20%, 30%, 半額と時間とともに値下げをする。株式のマーケットでも、年に数回こういう状況が発生する。さて、何%引きで買うか。もちろん半額で買えればよいのだけれど、まわりを見ると、同じ用に割引率が上がっていくのを待ち構えている連中がいる。カートを横付けして陣取っている婆さんなんかもいる。そんな状況で、いくらで買うか。半額を待っていたら、誰かがしびれを切らして30%引きで買ってしまうかもしれないし、お、今日は誰も競争相手がいないし半額だ!と思って買ったら、実はその日はイベントの日でスーパーが客入りを期待して定価自体が高かったとか。よしっ!と思って買おうとしたら、バァさんのカートに邪魔されて横取りされてしまったりとかするわけですが、そんな時に、今までいなかったとにたまたま買い物に来て、「お、今日は安いなぁ。ラッキー」とか言いながら、さっと買っていてしまう人なんかもいたりします。株も押し目を狙うとか、逆張りとか言いますが、まさにスーパーで割引を狙っているのと似たような状況ではないかなと感じます。株式マーケットというので、競りみたいなものを想像していましたが、値段を競って吊り上げていくという市場の感じより、スーパーの戦いのほうが近い感じがするのは、私だけだろうか???

お!安い!どれだけ買う?

いよいよ、ラッキーにも、自分が安く買えるチャンスがやってきた。さぁ、どうする? 例えば焼酎とかウイスキーとか、私の場合は、いずれ飲むものだし腐らないし、買えるだけ買っちゃえみたいな感じで、籠いっぱい大人買いしてしまうことが多い。もちろん財布とも相談するけど。それは物の価値がはっきりと分かっているし、いずれ飲むから無駄にはならないし、次来たらその値段で買えないということが十分に想像できているからなのだけど、みかこさんは、トマト一箱900円とか、きのこセットが1袋300円なんてラッキーに遭遇しても、何故かわからないけど、一人一箱とも書いていないのに、一つしか買わない。そして、家に帰ってきてから、もっと買っておけばよかったと後悔して、翌日行って、倍ほどの値段になっていて愕然としていることが多い。もちろん、ただ安いからといって買ってしまうと、実はそんなに安くなかったというか、もっと安いのがあったと後悔することもあるけど、自分がそれは絶対に安い、産地とかもしらべて本物だと確信したら、全力外だ!それができるかどうか、それで勝負が決まる。

負ける人

なけなしの1,000円を握りしめて、これで絶対に今晩オトクな夕食にありつけるように頑張って買い物するぜ!という人は負ける。執念とかせっぱつまった状況ではチャンスも判断力も失ってしまうからだ。今日買えなくても冷蔵庫の残りを食べて明日またくればいいさ、たまたま安いのがあったら買おう。うんと安いと思ったらカードで買おうといった余裕を持って行く人は、ラッキーをものにできる。ラッキーは、こちらの都合に合わせて来てくれないのだから、ゆったり構えて、それに遭遇したら、その時そのチャンスをつかめるようにしておくことが大事。幸運の女神には前髪しか無いらしい。ハゲなのか?

同じような理由で、他者のラッキーを見て真似するような人もチャンスを掴めない。チャンスを掴むには自分で考えて判断して行動する事が大事だからだ。他者の事を羨ましがる人は、他者ののラッキーしかみていない。なぜその人がそのラッキーを手にしたかを見ていない。多くの場合ラッキーは単なるラッキーではなく、合理的な判断をもとにした努力の結果だからだ。新NISAを信じて年初から初めて、4月の下落にもめげずに積み立てを続けている人は、いま結構な利益を手にしているはずだが、しかし、信じきれずに、とりあえず1,000円だけとか10,000円だけで様子を見ようとした人は悔しい思いをしているだろうし、証券口座を作らなかった人、口座を作っただけで始めなかった人は、そうとうな機会損失になっていると思う。では、今から始めようとしても、今のマーケットでは入りづらいし、月初から続けている人の含み益を知ってしまっていると、入っても思った程増えずにがっかりしてやめてしまうかもしれないね。一旦始めたのに、さしたる理由もなく一回やめてしまった人もまた同じ。短期・中期で意図的にやっている人は別だけど、長期投資を一回やめてしまうと、次になかなか入れないというのはよく言われることだ。株価は上下を繰り返しながら緩やかに右肩上がりしている。一回やめたということは、利確したにせよ、損切りしたにせよ、やめるタイミングを判断したということで、タイミングを気にしている人は、この読むことが出来ない株価の動きに再度飛び込むのは難しいものだ。たとえ買った直後に大きく下がっても気にせず持ち続けられる人が生き残ると言われている。

アノマリー

信じるも信じないもあなた次第。 セル・イン・メイ に代表されるようなアノマリーがたくさんある。統計データでも多少は傾向を感じるものもあるけど、誰にも明確な説明ができないのに、なぜかそうなることが多いような気がする的なやつだ。〇〇が〇〇したら雨とかいう天気にまつわるものも多いけど、株式投資の世界にはそれがいっぱいあって、本気で信じている人はあまりいないかもしれないけど、みんながなんとなく気にしている。なんか集団催眠みたいで、みんなが気にしているからそうなってしまうのか、あるいは説明できない理由がどこかにあってそうなるのかわからないけど、これは、多分、ある程度は意識しておいたほうが良いのかもしれない。節句のときのお寿司は高いとか、年末は寿司の値段が高くなるとか、買い物するなら 1/2,3 あたりが狙い目だとか、いやいや、みんなそう思っているから、1/7,8 あたりのほうが狙い目だとか。面白いのは、みんながそれを意識するようになると、いつしか、その裏をかこうという奴らが出てきて、結局どっちでもなくなってしまったり。結局愚直にタイミングを計らずに積み立てていったほうが良いよって話になっちゃう。

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