意味のない詰め替え用

台所の洗剤、シャンプー、リンスなどなど、世の中詰め替え用が反乱しているが、それらは本当に意味があるのだろうか…と、最近思うことが多い。

今も水垢できったなくなったシャンプーのボトルに詰め替えようのものを、無駄な労力をかけて、私の頭であれば2回は洗えそうなほどの量をこぼしつつ、詰め替えたのだが、衛生面を考えても、ボトルを洗ったり詰め替えたりする量を考えても、詰め替え用の意味ってまったく無いのではないかと思う。

ヘッドがスプレーになっているような、大がかりのもので、中身を詰め替えるというのはわかるのだが、シャンプー程度の容器ではあまり意味が無いのではないだろうか、シャンプーのポンプ付きボトルは全部同じ材質のプラスチックだが、詰め替え用の入れ物は、形状的にはチープに見えるが、材質的には、なんだかボトルより、エコで無いんじゃないかという気もする。

極めつけは、台所にあった洗剤のボトルで、詰め替え用とそうでないものの差は、キャップに穴が開いているかいないかだけじゃないかと思える代物。 どうみても同じなのだが、母は穴が開いている方の洗剤の容器に、穴が開いていない方の洗剤を詰めていた。 私なら、そんな面倒な事はせずにキャップを付け替えるのだが…(それ以前にそんなもの買わないけどね)

結局、詰め替え用というのは、エコとか何とかじゃなくて、単にお得感を出すというか、ものをうらんかなの為の戦略になってしまっていて、本来の意味がどこかへ行ってしまっているものが氾濫しているんじゃないかな。

実際、エコだなんだと理屈言っている人だって、スーパーで詰め替え用より、詰め替え用じゃない方が安売りしていたりすると、それ買っちゃうでしょ?

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